黙然日記(廃墟)

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産経の8月6日。

 豆腐1丁に卵の黄身を2個落として、醤油を垂らして掻き混ぜて食べると旨いです。なんか発作的に蛋白質が欲しくなって作ったのですが、正解でした。しかしこれ、単に白身を豆腐にしただけなので、生卵の醤油かけ(刺身ですね)や半熟卵でも同じだと思われます。

産経抄】広島の命の水 8月6日 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/column/print/150806/clm1508060003-c.html

 年によって産経抄は、8月6日の広島原爆の日を無視することがあるのですが、さすがに70年の節目にあたる今年は取り上げました。内容もまともです。これ自体に文句はありません。

【主張】被爆70年 「過ちは繰り返しませぬ」 誓うべきは核保有国である - 産経ニュース
http://www.sankei.com/column/print/150806/clm1508060002-c.html

 合掌
 (実質的)核保有国を非難しています。それは当然ですが、対象はロシア・中国・北朝鮮だけです。「核なき世界」を唱えてノーベル平和賞を受賞した米国のバラク・オバマ大統領はその後どうしたんだ、という指摘はされていません。核兵器というくくりではともかく、広島(・長崎)の原爆というひとつの悲劇にもっとも責任を持つべきなのは、どの国でしょうか。
 原爆ドーム前のデモで反原発のスローガンが増えたのは菅直人氏の首相あいさつのせいだ、と、あいかわらずものごとの因果関係をまったく理解していない責任論を展開しています。東電が起こした事故が原因の根っこで、そこから反原発の首相あいさつとデモという結果がそれぞれ独立に生まれたのです。《核兵器原子力の平和利用である原発を同一視するのはおかしい》という主張こそ、おかしいでしょう。
 《8月6日は原爆の悲惨を訴え、犠牲者を悼む日である。政治的に利用してはならない》というのが、どうやら最大の主張ポイントのようです。どうなのでしょう。核兵器の悲惨さを伝えることが大切なのは、唯一の戦争被爆国として当然です。しかし、ただ伝えるだけでは、下手すればグロ話になってしまいます。そうでなくても、お涙頂戴に堕する危険が大きいでしょう。
 悲惨だね。哀しかったね。――だから? だから、この先二度と繰り返してはならない。こうなるのが、当然でしょう。そして、繰り返さないためにはどうしたらいいのか考えれば、「反原発」や「戦争法案反対」という声が出てくるのも必然です。それを産経「主張」は、「慰霊の政治利用」と切り捨てようとしています。『はだしのゲン』にも「反日的」「自虐的」とクレームをつけているのですが、原爆の日を政治利用しているのは産経の方ではないでしょうか。
 原爆死没者慰霊碑の例の文言、《安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから》にも、例によっていちゃもんをつけます。主語が「人類は」であることは明らかになっています。産経「主張」はさらに、《「過ちは繰り返させませぬから」としなければ意味が通じない》とか、とんでもない明後日なことを書いています。他人のせいじゃない、自分たちの問題として核戦争はしないと誓わなければ、ここはそれこそ意味が通りません。
 《日本を擁護したインド人のパール判事》という、歴史的事実の誤認もあります。パル博士は戦勝国側が間違っていると言ったのであって、日本が悪くないとは言っていません。ついでに、プロの裁判官としてではなく法学者として臨時法廷で判事役を務めた彼の肩書きも、おかしいですね。日本無実論(無罪論ではなく)に立つ産経新聞の、原爆に日に対する視点があまりに歪んでいることを、如実にする「主張」(社説)でした。

自衛隊が米の核運搬? 民主、原爆の日を政治利用 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/print/150805/plt1508050030-c.html

 5日付で配信された記事ですが、こちらで扱います。安保法案(戦争法案)が成立すればこういうことがあり得る、という指摘に対し、《法律上は可能でも、現実的にはあり得ない想定》と言い逃れしていますが、国是である非核三原則に明らかに判ず供養な法律があってはならないので、この法的瑕疵があるだけでも法案成立阻止の理由になります、というか、与党がびっくりして戦争法案を引っ込めなきゃいけないような指摘で。また、この質問が原爆の日に合わせたものであるという記事の主張も、こじつけもいいところです。その政治利用に憤る国民が、まで話が進むと、やってられません。千葉倫之記者の思い込み力のすごさには脱帽するしかありません。