黙然日記(廃墟)

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産経歴史戦のロビー観。

 7/27分です。にっちもサッチモといえばルイ・アームストロング。そのトランペットは小さなトランペットだが、人類にとっては大きな喜びだ。

【歴史戦 第4部 利用される国連(中)】「慰安婦=性奴隷」生みの親は日本人弁護士 実態とかけ離れた慰安婦像独り歩き+(1/6ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140727/plc14072713000007-n1.htm

 田北真樹子記者のリポートは続きます。1990年代初頭、最初に「従軍慰安婦って性奴隷に該当するんじゃね?」と指摘した弁護士の戸塚悦朗氏を槍玉に挙げようとしているのですが、《「産経新聞は社論がだめ。話しても無駄だ」》と取材拒否されたのだそうです。まあ無駄なんですけどね、取材した内容から客観的に立論するのではなく、反対論を立論するための道具にしかしないつもりなのは見え見えですから。戸塚氏が間違っているのは、「社論が駄目」なのではなく「社の姿勢そのものが駄目」なのだというところです。田北記者は、戸塚氏が言い出したから「従軍慰安婦=性奴隷」という概念が広まったのだ、という筋書きにしたがっていますが、現代における奴隷の概念、債務奴隷などが国際条約に定義されているかぎり、いつかは誰かが気づいたはずのことです。それは、アインシュタインという天才がいなくてもいつかは相対性理論が完成していたはずだ(人工衛星に搭載した原子時計の遅れや超新星重力レンズ効果という観測的事実を説明できる理論は他にないでしょう)、というのに似ています。こういう、歴史の必然みたいな考え方を示すと産経周辺は、左翼フランクフルト学派の回し者、みたいな反応を示すのですが。
 国連の人権関連の委員会などで一貫して従軍慰安婦が「性奴隷」と表現されているのは、戸塚氏のロビー活動が激しいからだ、という筋書きも田北記者は組み立てていますが、これも同デジいうか。もちろんその活動の成果を否定するわけではありませんが、一個人、あるいはいくつかのNGOのロビー活動だけで全面的に左右されるほど、人権理事会はしょぼい存在ではないでしょう。これは、気づかないうちはともかく、言われてしまえば誰がどう見たって奴隷の定義に当てはまるよなあ、と、まともな常識と豊富な国際法の知識を持ち合わせる人権理事会その他のメンバーが考えるのは当然だ、というだけの話ではないでしょうか。非常識と無知の塊である産経記者には、それが理解できないというだけで。わたしは、前回の記事まで、田北記者は「わかった上で」、つまりあるていど勉強し社会人としての常識も持ち合わせた当然の判断として、従軍慰安婦は性奴隷に該当する(かもしれない)けれど、産経新聞の社論はアレだし左派の活動も気にくわないから、筆を曲げて叩いてやろうとしているのだと思っていました。しかし今回の記事を読んでこれまでの田北記者の文章を合わせて考えると、どうやら本気で「お金をもらっていたんだから奴隷じゃない」といった確信を抱いているように感じられてなりません。これはいったい、どういうことなのでしょうか。