黙然日記(廃墟)

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産経阿比留氏の透視力。他。

 7/3分です。「天丼とかけ蕎麦」はたいへんリッチな感じがしますが、「天麩羅蕎麦と飯」ではどこかビンボ臭いのはなぜでしょう。

集団的自衛権 第4部 閣議決定(上)】解釈変更を「暴挙」と報じる朝日・東京 感情論、見透かされる扇動+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140703/plc14070307560006-n1.htm

 あいかわらず豪快な産経論説です。誰かと思ったらやはり阿比留瑠比氏でした。先日までは政治部編集委員でしたが、1日付の組織変更で編集委員編集委員になったのかしらん、それともさらに異動があったかもしれませんが、ちょっと現時点ではわかりません。お得意の、朝日新聞東京新聞への批判というか罵倒ですね。産経罵倒を連日やっているわたしが言うのもなんですが、よく飽きないものです。それだけ、安倍晋三首相への信仰が深いと言うことでしょうか。
 国民からの信任も得ず野党との議論すら経ずに憲法解釈の変更を閣議決定するという行為は、朝日・東京両紙が言うように「暴挙」そのものです。過去に9条解釈を変更してきた例があるからといって、それはすべて保守政権による暴挙だったと断言しても過言ではないものです。なし崩しにそれを認めてきた我々国民にも、責任があるかもしれませんが。今回の暴挙を正当化する理屈にはなりません。昨年の特定秘密保護法や第一次政権時代の教育基本法改悪と防衛省昇格といった安倍氏の暴走は、そのたびごとに「日本を誤った方向に導くものだ」と批判されてきました。「その批判と違って、なにも悪くなっていないではないか」と阿比留氏は主張するのですが、本当にそう思っているのでしょうか。悪くなっているところが見えない、気づかないというのは、わざと目を覆っているのか、無神経なのか、どうも本当に気づいていない、「これでいいのだ」と思い込んでいるらしいところに、絶望的な断崖を感じざるを得ません。一例を挙げれば、先日も書きましたが、フランスやイタリアは学校での国歌斉唱を義務づけたりしていませんが、国民統合や国家への帰属意識が損なわれているという事実はありません(念のため申し添えると、フランスはいまや民族国家ではなく移民国家です)。このように不要な国家への忠誠心の強要が、民主主義国家において「悪いこと」でなくてなんでしょうか。第一次・第二次安倍政権が戦後史の転換点だったと後悔する日が、いつか必ず来るでしょう。これを《感情論、見透かされる扇動》と、言うなら言いなさい。日本の国のためを衷心から思っての発言であるつもりです。
 また阿比留氏は、ベニグノ・アキノ3世フィリピン大統領が日本の集団的自衛権行使容認に賛同したことを朝日・東京はほとんどあるいはまったく伝えていないという事実を指摘して、卑怯だ卑怯だ言っていますが、産経新聞でそれを言いますか。まあ産経の場合は、スルーしないでものすごく強引に明後日の方向にねじ曲げて論評するというテクニックも使いますから、そこが違うというのかもしれませんが。

【編集日誌】猛批判は「効果」の証し - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140703/plc14070307300005-n1.htm

 阿比留氏の親分の乾正人編集長兼編集委員室長も、たいがいにしろというようなコラムを書いています。朝日・東京による政権批判に対して、《日本に言論の自由が存在するありがたさもつくづく実感します》と書いているのは、どう見ても皮肉めかした言い方なのですが、言論の自由は政権批判のためにあるという民主主義の根幹を、わかって言っているのでしょうか。政権批判のためでなかったら、なんのために言論の自由が存在すると思っているのか。大新聞社の編集トップがこういう態度を示していることに、寒気がします。