黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経抄、古森氏をテレビで見る。他。

産経抄】3月14日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/496053/
産経抄】3月14日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110314/dst11031402590021-n1.htm

 阪神淡路大震災*1のとき、我らがこもりんこと産経新聞古森義久記者がCNNに出演し(CNNもどうかと思います)、「なぜ日本人は略奪しないのか」と質問されたそうです。抄子はその答えを覚えていないそうですが、古森記者だからきっと「日本には黒人がいないから。略奪するのは100%黒人」とでも答えたのでしょう(CNNでそんなん言ったら二度と米国に入れなくなりそうですが)。
 首相の視察が現場のじゃまをしたというのは、翌日に現地入りした菅総理を責めるなら、中越沖地震のとき柏崎刈羽原発まだ現地でも情報を把握していない当日に視察へ入り、何もできずに帰っていった誰かさんのほうが、よほど邪魔だったのではないでしょうか。
 原発事故に際し、避難範囲を徐々に拡大したことで住民の不安を募らせたそうですが、事態は徐々に進展していたのです。その間、食い止められるはずの方法を力一杯試みていたのですから、やむをえないとわたしは思います。避難範囲が徐々に拡大したのは、政府の指示がまずいからではなく、事態が徐々に進展していったからではないのですか。このへんの話は次に続きます。

原発事故 情報の発信で不安鎮めよ - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/496049/
【主張】原発事故 情報の発信で不安鎮めよ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110314/dst11031403000023-n1.htm

原発輪番停電…政府の情報発信、混迷の極み - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/496031/
東日本大震災】政府の情報発信、混迷の極み+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/plc11031401440004-n1.htm

政府、責任逃れの東電任せ 計画停電 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/496281/
計画停電】政府、責任逃れの東電任せ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/plc11031418430040-n1.htm

 地震の翌日には「与野党は政争をやめろ」とか立派なことを言っていた産経ですが、そろそろぼろが出てきました。まあ、国難より自社益ですよね、うんうん。おおむね記事の出る順番に並べてみると、だんだん表現がきつくなっていって面白いですね。
 特に「混迷の極み」記事について見ていきます。計画停電といいながらまったく無計画だった(過去形じゃなく、これから当分続くはずなんですが……)輪番停電は、実施の正式発表が停電開始予定時刻の約10時間前、しかも夜中を挟んでとなり(実際の実施からは22時間ほど前)、いずれにしろこれは醜態でした。外部から見ている限り、東京電力の判断が遅れたのか、政府の了承が遅れたのかはわかりませんが、停電予定時刻以後のずるずるっぷりを見る限りでは、東電に決断力がなかったのは明白だと思います*2
 昨日のエントリでも述べましたが、電力不足と計画停電実施は、全く不測の天災によるもので、やむを得ません。その実施の責任は東京電力にあり、政府はそれを認可了承し監督するのが責任です。監督不十分というのもわかりますが、それ以前に実施責任者をなぜ問題視しないのでしょうか。一例として、すごく私的な話になりますが、うちの大字(大字なんですすみません)は東電の発表資料で第3グループと第4グループの両方に名前があり、おそらく番地で分かれているのでしょうがそこまでの記述がなく、現時点でもどちらに属するのかさっぱり把握できていません。わたしが味わっているこの混乱は、政府の情報提供が遅かったからでしょうかね? 東電の責任だとしか思えないのですが(昼のうちに電話で問い合わせなかったわたしの責任もあるとしても)。
 そのほかいずれの記事も、原発事故関連の発表に対しても、政府を責めることを優先に考え、全体として誰に責任があるのかを考えていないように見えます。簡単に言えば、ためにする批判です。
 戦後最大の国難です。全国民が心を一つにして、しかし全体主義に陥ることなく、政府や公共企業に不手際があれば指摘し、修正させながら、なんとしても生き延び、立ち直らねばならないときです。必要なのは譴責的な指摘であって、批判のための批判ではありません。

*1:なぜか抄子は《阪神大震災》と書いていますが。

*2:電気を常に供給するのが電力会社の最大の使命である、という価値観から抜け出せないのはわかりますが、おかげでこちらは行動の予定が立たず、ほぼ1日無駄にしてしまいました。