黙然日記(廃墟)

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産経記者の不測の事態観。

言葉をもてあそび混迷を深めるな 朝鮮学校無償化 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/491336/
安藤慶太が斬る】言葉をもてあそび混迷を深めるな +(1/5ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110213/plc11021307000002-n1.htm

 さて、新聞休刊日で「産経抄」他のオピニオンがないので、昨日付ですが電子版用コラムの【安藤慶太が斬る】をひさしぶりに。いつもひどい文章の上にだらだらと長くて読みづらいこのコラムですが、今回は半分ほどが国会質疑の引用なので、相対的に読みやすくなっています。
 テーマは朝鮮学校無償化について。朝鮮学校といえば、「教室に日の丸を掲げると学校が良くなる」という「産経抄」のオカルトが、「教室に金父子の肖像を掲げると学校を守ってくれる」という朝鮮学校のオカルトにそっくりだ、という指摘をid:Elekt_raさんがされていました*1
 国会質疑については、高木義明文科相の答弁も、相手を説得しようという気が感じられなくて、批判されるべきひどいのですが、もちろん安藤記者の文章ほどではありません。

 政府は審査と審査前を突然分け始めたのである。審査は教育上の観点のみで行う。でも審査前の手続であって審査ではない。だから砲撃で止めたのだ、ということである。
〔3/5ページ、http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110213/plc11021307000002-n3.htm

 これはすごい。なにを言ってるんだか、ぜんぜんわかりません……。政府側の説明は、「審査会の枠組みと審査内容は別。外交上の事件が、純粋に教育的観点であるべき審査の内容に影響を与えそうなら、事件をきっかけに審査会の枠組みを停止することもある」というもので、枝野幸男官房長官のたとえ話もこれに当てはまります*2。概念のレベルを切り分ければ簡単に理解できる話なのに、この理解力のなさはどうでしょう。その結果として、相手を「わけのわからないことを言っている」と、自分がわけのかわからな文章で非難する、これぞ安藤節の真骨頂です。
 《「そういうのを世間一般で外交的配慮と言う》」という下村博文氏の質問もおかしなもので、国民の安全を守ることは、防衛的配慮では合っても外交的「配慮」とは言いません。もちろん安藤記者は、この言い間違いあるいは誤解に、諸手をあげて賛同しています。

 ところで、《ジョージオーウェル》という表記を久しぶりに見ました。普通は「ジョージ・オーウェル」と、姓と名の間に「・」または「=」を入れます。一時期のビル・ゲイツ氏が「ビルゲイツ」呼ばわりされていたように、現実の1984年にオーウェルのブームが起きたとき、「ジョージオーウェル」と一息に発音される例をよく見聞きしましたが、まだ27年前の感覚を引きずっているのでしょうか。
 《朝鮮半島には日本を射程に収めたミサイルが》という書き方も、なんのつもりなんだか。そりゃ、韓国軍のミサイルも大半は釜山から対馬または九州をねらえるぐらいの性能はあるはずですが。まさか朝鮮半島の軍事力は北朝鮮軍しかないと思っているのでしょうか。その北側のミサイルが飛んでくる、《そうした状況自体は砲撃で突然生まれたわけでもない》って、いったいこと人は、防衛や軍事についてなにをどう考えているのでしょう。昨年11月23日の砲撃は、休戦以来初めての直接地上攻撃でした。これを「軍あるいは政府内部の暴発が始まった可能性が高い」と考えられない人が、こうした事件について公の場でどうたら言うのはやめてほしいものです。まして、それを職業にするなんて。
 他にも、朝鮮総連が「もし」テロを起こすなら、「今から」朝鮮学校は総連との縁を切るべきだとか、もう現実と仮定の区別がついていないとしか思えません。今、「仮定」と書くときに思わず「妄想」と書いてから修正したのですが、必要なかったですかね。ていうか安藤さん、こんな文章を発表してしまった以上、名誉毀損訴訟に向けて良い弁護士を探しておくべきだと思います。これは真剣に忠告します。そして最後の最後に、《言葉に対する厳密な態度が欠けている》。お前が言うなお前が

*1: http://d.hatena.ne.jp/pr3/20110210/1297350851#c 参照。

*2:枝野氏の、たとえ話を多用する説明は、わかりやすくなるし今回も適切だとは思うのですが、これで足をすくわれることもよくあるので、気をつけてほしいものです。政治家の舌禍事件の多くが、こうしたたとえ話に引っかかったものであることから学んでほしいと願います。