黙然日記(廃墟)

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産経抄の性交渉観。他。

産経抄】1月14日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/484147/
産経抄】1月14日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110114/trd1101140303000-n1.htm

 「レイプをするのは元気があってよろしい」みたいな話ですか。違いますか。違わないように思うのですが。つうか、朝っぱらからなにを引用してるんだあんたは。ええ、『今昔物語集』好きでしたけどね。16〜19歳の男子だったころ。『源氏物語』を引くまでもなく平安時代はフリーセックスの時代でして、婚前交渉が当然のものとして結婚制度や人生設計に組み込まれていました。結婚そのものに宗教的な縛りがなく(イエ制度の縛りがあったわけですが)、これは太古から、基本的に江戸時代までは続いていたと思います。近代になってキリスト教道徳を形だけ取り入れた国家神道という人工宗教が始まり、結婚観や純潔観を大きく変えていきました。
 制度的な結婚を女性側から指す「嫁ぐ」という言葉が嫌われるのは、それが男尊女卑に基づいているからでしょうか。そのように主張する人が少なからずいるとしても、わたしには違和感があります。イエ制度、特に近代国家体制に組み入れられたそれが、システムとして個人を圧殺するものであり、「嫁ぐ」はそうしたシステムに結びついた表現になってしまっているから嫌われるのではないでしょうか。システムが圧殺するのは個人性であって、女性性とは限りません。イエ制度は男性、特に長男への負担を強いるものでもあります。現在、ほとんどの男性が「長男」であることに注意してください。女性の権利がいまだにないがしろにされていることは憂慮するべきですが、それを取り戻すと同時に、男性の個人としての権利も、決して見落とされてはならないと思います。
 話を戻しますが、「嫁ぐ」にイエ制度と関係ない意味があることを発見した(といっても他人の研究をそのままいただいた)抄子が、その「(自由な)性交渉」という意味にはしゃいでしまって、無理矢理現代の“草食系”に結びつけようとして論旨がめろめろになり大失敗してしまった、という印象です。1970年代に若者だっただろう抄子が、「なぁにがフリーセックスだ」などと吐き捨てながら、「社会的・宗教的制度から性を解放し個人の尊厳に基づいたものにする自由化」という意味も考えずに、斜め下から見上げていた姿が、勝手に脳裏に浮かんできました。

産経抄】1月15日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/484554/
産経抄】1月15日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110115/plc1101150532002-n1.htm

 政権批判として、下野なう産経らしくまとまっていると申せましょう。内閣改造の翌日なのですから、前任の仙谷由人氏ではなく新官房長官枝野幸男氏への難癖を読んでみたかったと思うのですが、反中派としても知られるようになってしまった枝野氏を批判する気は(とりあえず)ないと言うことでしょうか。枝野氏が中国を批判するのは、その政権が人権抑圧的だからであって、反中の理由を探して人権を持ち出す産経とはまったく逆であることに、現時点で気付いているのか、どうでしょうか。