黙然日記(廃墟)

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問われる産経の皇室観。他。

「博士」はいずこへいったのか - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/469876/

 2日付「正論」は、時事問題をできるだけ排して社会の風潮に対する苦言に徹しているらしい加藤秀俊社会学博士です。感心することもあるのですが、ときおりあさっての方角に向かったりもするので油断できません。
 湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したときには大騒ぎになり、「湯川博士」「湯川教授」と尊敬されていたのが、最近はノーベル賞受賞者に対しても「さん」づけだ、「博士」の呼称はどこへ消えたのだ、と嘆いていらっしゃいます。テレビメディアの平等主義に一因を求めており、ある意味では当たっているかもしれませんが、それだけではないでしょう。それは、2002年のノーベル賞発表にまで遡れると思います。このとき物理学賞を受賞した小柴昌俊氏は博士号を持つ東京大学教授で、テレビでも最初は「小柴教授」と呼ばれていました。しかし同時に化学賞を受賞した田中耕一氏は、受賞発表時点で学士号しかなく(ノーベル賞授賞発表から授賞式までに東北大学から名誉博士号を授与)、大学等の教授でもない民間企業の研究者だったので、「田中博士」「田中教授」という肩書きがつけられず、「田中さん」と呼ぶしかありませんでした。「小柴教授と田中さん」では呼びづらいので、いつしか小柴教授も「小柴さん」になり、以後ノーベル賞受賞者の呼称も「さん」で定着していったように思います。加藤「正論」の趣旨とは相容れない面もありますが、「テレビの平等主義」の一側面でもあり、この出来事を無視するのは適切ではないと思います。
 あと、「国際的には」「世界各国」と出羽の守ぶりを発揮していますが、英語での慣習しか例に出ていませんね。インド・ヨーロッパ語では名詞の性別が厳しく、英語でもいまだに"Mr.""Ms."で男女の呼称が分かれていて("Miss""Mrs."を事実上廃したのだから、やればできるはずなのですが)、「さん」「様」に相当する誰にでも使える無難な敬称がありません。そこで呼称をあらかじめ知っておく必要が出てきて、ついでに「ドクター」や「アドミラル」も選択肢に入れておくのでしょう。もうひとつ、朝永振一郎博士がノーベル賞を受賞した1965年は、すでにテレビ時代といわれていましたよね。「博士が」が消えたのはテレビ時代の悪弊とするには、論拠があまりに弱いのではないでしょうか。
 まずなにより、「博士」と呼んでほしいなら、いちいちネット検索させないで紙面で名乗る肩書きも「社会学博士」としてほしいものです。

産経抄】12月2日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/469851/

中井氏の非礼発言 問われる民主党の皇室観 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/469852/
 民主党政権は、天皇の政治利用を慎むとともに、両陛下と皇族に敬意を払うべきだ。

 敬意といえば、2日付「産経抄」「主張」でいまだに中井洽議員の非礼発言問題を引っ張っているわけですが、こちらも飽き飽きです。社説で取り上げているのは、例によって産経一紙のみです。
 園遊会での印象に残るやりとりといえば、「産経抄」が引いている山下泰裕教授のこれもたしかに傑作でしたが、わたしが真っ先に思い浮かべたのは、米長邦雄・東京都教育委員(当時)のエピソードでした。米長氏が園遊会で、「私の仕事は全国の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることです」と胸を張ったところ、今上陛下から《「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」》と諭され、一世一代の赤っ恥を掻いた事件です。だいたい東京都教育委員の仕事は全国と関係ないだろう、とかもありますが、米長氏の属する“保守派”の目標が、今上を含めた一般世間の常識や良識からいかに逸脱しているかを物語るエピソードとして、記憶されている方も多いのではないでしょうか。
 式典中に私語を発するのはいずれにしろよろしくないので、中井氏には大いに反省していただきたいですが、産経もどうせなら、もともとの桜内文城議員の指摘である、「国会が学級崩壊状態」という問題の方を追求してみてはどうでしょうか。今国会では野党(おもに自民党)が、些細な問題(おもに産経の報道)をもとに、やたらと激しく政府与党を攻撃する姿が見られましたが、口汚く罵るばかりで、補正予算や外交面で少しでも国民生活や“国益”に利したという印象はありません。
 この「主張」も、引用部を結語としていることが象徴しているように、この騒動を皇室への“不敬罪”という観点からの批判しかしていません(「不敬罪」と直接書いてはいませんが)。日本の国会と民主主義が120周年を迎えた意義深い式典であったことを、まるっと無視しています。わたしは今上陛下と皇室を尊崇する立場ですが、その根底には、即位の礼での《日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴として》というお言葉にあります。産経の、形式とも思える皇室への敬意は、何を根拠にしているのでしょうか。