産経抄とフィクションと命。
【産経抄】10月29日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/456811/
子供の自殺は、一報を聞いただけでつらい思いがします。その背景にいじめがあったことや、まして人種差別の側面もあったらしいこと*1、さらに、生前に抱いていた夢なども聞かされると、本当にやりきれない思いになります。絵やマンガの形で密かに想いを吐露していたという話には、胸が締め付けられます。個人的には、人が創作することの原点がそこにはあるようにも感じます*2。「フィクションが人を救う」というテーゼの、一つの表れだったかもしれません――けっきょく、彼女を救うことはできなかったのですが。
しかし、現実への想いをフィクションの形で吐露することと、現実に起きた他者の事件を他のフィクションと比較することは、まったく違います。現実の事件を説明した直後に、なんの断りもなくフィクションの要約を始めるのは、「産経抄」ではしょっちゅうあることですが、読者に喧嘩を売っているのかといつもながらに思います。今回の事件での、ノートに描かれたマンガというエピソードから、児童文学の名作『百まいのドレス』を連想すること自体はわかりますが、こうした引用は作品にも、そして亡くなった少女にも、失礼極まりないように思います。
フィクションはときに人を救い、ときに解決へのヒントを示すことはありますが、それでもフィクションに過ぎないのです。
ポケモンの脚本家 首藤剛志氏が死去 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/movie/457167/
心よりお悔やみを申し上げます、という以前に、ひどくショックです。首藤さんからいただいたたくさんのものを、大切にしたいと、あらためて思います。
「人の死」というテーマを、アニメというカテゴリの中で、正面から扱おうとした作品には、賛否両論がありました。わたしは肯定派でしたが、今回急病に倒れられ死線をくぐり抜けたあと、お元気になって再び筆を揮われたら、過去とはまた違った作品に出会うことができたのではないか、と感じます。しかしそれも、今となっては「届かない夢」となってしまいました。あらためて、心よりのお礼を述べるとともに、安らかにお眠みくださいと祈ります。
いつものwatchの話題ではなく、悪口の類と並べるのも忍びないので、エントリを分けようかとも思いましたが、どこか通じるものがあるように思うので、一つにまとめておきます。