黙然日記(廃墟)

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産経抄、原爆詠を歪曲する。

 8月になると戦争を思い出す、「夏=戦争」というのは、多くの日本人の感覚かもしれません。ところで、核施設へのテロをモチーフにした映画は、今日放映するのにふさわしかったんでしょうか。素朴な感情論ですが。*1

産経抄】8月6日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/424773/

 まさかいまどき、原爆慰霊碑碑文の主語問題を蒸し返すとは。主語が「We(われわれ)」であることが確認されても、それが「日本人」なのか「人類全体」なのかは結局同じ議論になりますから、英訳が発見されてもたいした意味はありません。それとも、この碑文を「米国に同じ過ちは繰り返させませぬから。ただし日本はフリーハンドを保持します」とでも解釈したかったのでしょうか。これほど犠牲者を愚弄した話はありませんから、いくらなんでも産経にそんな意図はないと思いたいところです。
 飯田龍太氏の言う、慰霊の端的な言葉などあり得ない、被爆という事実に向き合うしかないというのは、いかにも俳人らしい、真摯な態度だと感じます。歌人や詩人なら、同じ意図を持っても、こうした表現にはならなかったのではないでしょうか。「端的な言葉」を追い求める俳人だからこそでしょう。「(歴史的な)事実と向き合う」のは産経がもっとも苦手とするところですが、いったいどういうようにこの言葉を聞き、引用したのでしょうか。

水や空 - 長崎新聞コラム
眠ってしまった竹山さん  (2010年4月2日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/mizusora/top.html

 産経抄が引用している歌人の竹山広氏が亡くなった際の、長崎新聞の追悼コラムです(産経抄ファンクラブスレでのご教示によりました)。被爆者としての竹山氏がどのようなポジションにいた方か、片鱗が伺えます。短歌あるいは詩や文学全般や映画などは、背景を切り離して自由に解釈することも許されるのですが、それは文学の一部である評論のジャンルにおいて許されるという話であって、政治的プロパガンダに利用するための曲解は、政治的に許されません。この「産経抄」による曲解、歪曲、捏造は、もちろん許されるものではありません。

*1:映画そのものは気に入りましたけど、先週放映してもよかったんじゃないかという話。いっそ『ハウルの動く城』と連続で。