黙然日記(廃墟)

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産経「正論」のポストモダン観。

鳩山政権を蝕む「反国家」の思想 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/387188/

 5月4日付「正論」は、拓殖大学学長の渡辺利夫氏です。従米大好き十兵衛ちゃんで印象的な渡辺学長ですが、今回はラブリー眼帯の話ではありません。国家という観念について論じていて、そんならふだんの主権を放棄したような従米論はいったいなんなんだ、とか思うわけですが。まあ、東アジア共同体を云々して、例の『新・脱亜論』を展開したいのはわかりますが。
 とりあえず渡辺氏は、「国民」ではなく「市民」と言いたがる風潮がお気に召さないようです。そうするともちろん、「在日特権を許さない国民の会」を名乗らない在特会も気に入らないんでしょうね。いいぞもっと内部分裂しろ。
 近代以後に限っても、立憲君主制と共和制、帝国主義国民国家など、様々な国家概念が生まれており、ここではいちいち説明しませんが、ていうか説明できるスキルがわたしにないんですが、時代によって「国家」の観念は当然のように変わるものなのです。渡辺氏はモダンとポストモダンの違いをきちんと説明なさっているぐらいなので、時代による変遷を理解していないわけではないだろうと思いますし、「新しい概念がすべて正しい」という詭弁を弄するつもりはありませんが、そうした概念を主張する人の立場を尊重するのは、モダン・ポストモダン両者に共通する思想ではないでしょうか。
 最後の方、外国ニンジン政権と選択的夫婦別姓に反対している理由は、同意はしませんが、なにを言っているのかは理解できます。しかし、人権侵害救済法に反対している部分が、具体的になにを言っているんだかさっぱりわかりません。「黒々とした情念をたぎらせる反国家集団」がいるんだそうですが、なにこれ? 死ね死ね団? 黒十字軍? 砂漠の使徒? 
 なんにしても、渡辺氏をはじめとする産経あたりの人たちは、どうして、国家のあり方は主権者の意志によって決まるということが理解できないのでしょうね。