黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経の見出しが充実。他。

中山元国交相が不出馬表明 参院選、新党に合流せず - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/386027/

 中山成彬氏がたちあがれ日本と決別した、という30日のニュース。記事本文には「同党から立候補しないことを表明した」とあるだけなので、他党(維新政党・新風とか)からの立候補を模索するのか、それにしては見出しが間違っていないかと思ったのですが、他の報道(毎日jp)によると、次期参院選での立候補そのものを取りやめるそうです。最初、産経の見出しと本文の矛盾だけでもネタになるかと思ったのですが、本文より見出しの方が情報量が多いとは、産経のやることは予想もつきません。
 あの中山氏がこれぐらいで政界復帰をあきらめるとは思えないのですが、平沼赳夫氏とようやく合流できるチャンスなのに与謝野馨氏と一緒に活動するのがそんなに嫌なのか、という疑問がまずあります。こないだまで同じ自民党に所属していたのに。また平沼氏は、腹心の城内実氏にも同じように日和見されているわけです。このていどの根回しもせずにこうした形で新党を立ち上げたという点で、いったいこの人はこんなに注目されるほどの優れた政治家なのか、という素朴な疑問が沸いてきます。まあ今回に限らず、立候補に関する中山氏の発言はまっっったくあてにならないんですが。
 それと、産経記事でも毎日記事でも同じ表現になっているので会見でも実際にこのように述べたのだと思いますが、「わたしが考えていた保守本流の新党とは異質」というのは、そのまま受け取ると理解不能でしかありません。「保守本流」という、すでに長年使われて定着した概念を(参考:keyword:保守本流,Wikipedia:保守本流)まるで違った意味に使うネット上の言説が気になっていたのですが(最近はあまり目立たなくなりましたが)、中山ちゃんが出鱈目な意味で言いふらしていたのが原因ですか? それが元文部科学大臣のすることでしょうか。中山氏や平沼氏のスタンスは、せいぜい“真正保守”、または「保守でもなんでもない反動右翼」であって、保守に巣食った異端派であることを、どうしてこういうかたちで誤魔化そうとするのでしょうか。では与謝野氏の政策が保守本流かというとそれも違うので、そうした意味では「保守本流ではない」という指摘は正しいのですが、中山氏のは発言にもあるように「ぼくのかんがえたほしゅほんりゅう」ですからね。

殺人時効廃止 難事件解決へ広域体制で - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/385887/

 30日付「主張」は、予想どおり厳罰化を歓迎しています。こういうときに「与党の手柄」としないのも予想どおりですが、そもそも手柄なのかどうか。
 以下、少し長くなるうえに「主張」と直接関係ないので、節を分けます。

[opinion][expression]予防警察。

 公訴時効の一部廃止については、感情的な理由による重罰化を求める風潮の、象徴的な出来事のように思います。これは前政権から、現在の連立政権にも引き継がれている流れです。感情論が司法判断を左右するようになると、必要以上の重罰化は「どうせ死刑になるんだ」という犯人に罪を重ねさせる可能性がありますし、「解決を求める世論」への迎合が冤罪の温床になることも言うまでもありません。さらに、いずれは予防警察の強化ということにもつながりかねません。
 *1佐々淳行氏の著書『日本の警察 「安全神話」は終わったか』(PHP新書ISBN:4569608191)をしばらく前に読み終えたのですが、公安警察官僚だった佐々氏は、予防警察の復活を強く求めています。それ以来観察を続けていたのですが、これはかなり重要なキーワードではないかという気が強くなっています。「予防警察」とは、事件が起きてから犯人を見つけて起訴する「司法警察」に対し、事件が起きる前にそれを防ぐという考え方です。たとえば警察官のパトロールも事件予防の一手段で、もちろんこうした警察活動は必要なものでしょう。戦前の警察は予防警察に力を入れていました。「警察」という言葉自体、警戒し察知するという意味です。しかし戦前警察における予防警察力の強化がどういう結果をもたらしたかについては、特高警察の名前を出すまでもなく皆様ご承知だろうと思います。この戦前警察の体質が残っている時期に、戦後最悪の冤罪事件のひとつと思われるWikipedia:菅生事件が起きています。もちろん冤罪事件は無数にあり、解明までにもっと悲劇的な経緯をたどった例、さらに未解明のままの例すら多いのですが、この菅生事件は「公安当局が予防警察のために自ら犯罪を起こした」という意味で特筆されます。
 戦後、刑事訴訟法の改正で予防警察力は大きく制限されましたが、刑法には現在も、殺人予備罪とか凶器準備集合罪といった、予防警察的な罪刑が存在します。殺人予備罪あたりを否定するわけではありませんが、凶器準備集合罪はどうなんでしょうね。これはもともと「ヤクザの抗争を予防するため」と称して作られた法律のはずなのに、実際には反体制政治活動の予防的な取り締まりに濫用されました(政治活動に暴力を持ち込むことに強く反対する立場なので、これで摘発された方も悪いとは思いますが)。予防警察には、つねにそうした側面があることに注目すべきです。
 すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この予防警察の考えは、共謀罪導入などの動きとともに、表現規制にもつながっています。「犯罪を引き起こす可能性があるものはあらかじめ取り締まる」という発想です。
 警察関連の動きに、こうした切り口をなにかひとつ用意して観察していると、いろいろ気づくことが多いと思います。もちろん警察にはもう一つ、「天下り利権の確保」という非常に大きな目標があり、これも表現規制と関わっていることはあらためて指摘するまでもありませんが、「予防警察の導入」も、その権力拡大という意味である種の利権だと言えます(他に、交通警察関連の権力=利権拡大もあると思いますが、こちらは詳しく観察していません。ネズミ取りとかふつーに腹立たしいですが)。こうした動きには、利権そのものの他に利害関係とかイデオロギーとかがかぶさってきて、見方によっては複雑なのですが、見方を変えてみると非常に単純に理解できるように思います。枝野幸男行政刷新大臣には、こうした利権目的の活動に切り込むことで表現規制の源を絶つことも期待しているのですが。まだ。

*1:「警察」という言葉には、警察組織の意味と、「警察活動する」という動詞的な意味があります。以下の文中ではその点でやや混乱した使い方になっていますが、お許しを。