黙然日記(廃墟)

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私的産経ウォッチ小史。

「梶ピエールの備忘録:サヨウナラ、産経新聞」に突っ込む - bogus-simotukareの日記
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20100427/1272373925

 bogus-simotukareさんから古い記事にトラックバックをいただいたので、なにかと思ったのですが、産経ウォッチの歴史に関する言及でした。ありがたいのですが、わたしは後述のようにウォッチャーとしては新参者なので、自分語りを含めつつ補足させていただきます。
 最初に産経の記事を大きな問題として取り上げたのは、引用いただいた2005年9月のID論インタビュー記事でしたが、このころはまだ、多くのメディアにあるおかしな記事の一つという認識だったと思います。その政治的・宗教的主張と無関係に「産経はネタになる、」と気がついたのが2006年1月 d:id:pr3:20060111:1136933698 以後でした。そして産経ウォッチがブログの中心になったのは、2006年8月から9月にかけての古森義久氏による言論弾圧事件 d:id:pr3:20060908:1157680526 以後だったと記憶しています。この直後に安倍政権が成立し、その政策、特に教育再生会議がやばそうだと感じて調べていくうちに山谷えり子氏(元産経関連紙編集長)の存在にぶち当たり、これは産経の体質がそもそもやばいんだな、という認識を持つようになったわけです。
 一方、産経ウォッチ、少なくとも産経抄ウォッチに関しては、ご存知の「産経抄ファンクラブ」スレッド@マスコミ板@2ちゃんねるがあります。最初にスレが立った当時(2000年ごろ)は本当にファンクラブだったそうですが、2001年2月のえひめ丸事故や2003年3月のイラク戦争(古森氏の“恥辱の殿堂”発言は5月)で、その主張内容があまりに媚米的かつご都合主義だったところから(それでも自信たっぷりに断定していたあたりに、新たなファン=ウォッチャーがついたのでしょう)、すでに産経ウォッチャーという存在が発生していたようです。少なくとも、2002年2月に産経新聞が休刊日破りに踏み切り3ヶ月で中断した前後のドタバタは、現在でもファンクラブスレで記憶されています。2ちゃんねるの創設が1999年、HTMLなどの知識がなくても気軽に書き込めるコミュニティが各種形成され存在がひられて拡大していったのが2000年〜2001年ですから、ネットカルチャーの成立と同時に産経ウォッチという行為は始まり、比較的少数ながら脈々と続いてきたのだろうと思います。
 この2000年代初頭の時期は、同じネット事情を背景にして、いわゆるネトウヨか成立した時期でもありました。書き込み数では多数派だったネトウヨ的言説に疑問を持つ人が増える時期までは、産経批判が目立たなかったことは確かです。最大の転換点は2007年7月参院選維新政党・新風の支持者は全国で17万人しかいなかったことが客観的に判明)と、9月の安倍政権崩壊だろうと思いますが、その後もネトウヨおよび産経への批判は、増えてはいったものの緩やかなペースでした。批判、すなわち「産経という権威」に対する疑問の視点を得られなかったことで、疑問を持つ時期が遅くなった人もいるのだろうと思います。実はアクセス解析を見ると、「産経 捏造」の検索ワードで学ラン捏造記事事件に関するうちのエントリにたどり着く人がいまだに多く、まだまだ知られていないんだなあ、と感じます。