黙然日記(廃墟)

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産経、辞書を書き換える。

産経抄】4月16日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/380705/

 林望氏って国文学者だったのか。英国エッセイが有名だからてっきり……もうしわけないです。それはともかく。「心の闇」という表現が流行したのは、たしかに1997年の事件以来だったかと思います。それは「狂気」のマスコミ的言い換えでもあったかもしれません。平安時代に使われた「心の闇」の表現も、子を喪った親の狂気を意味するものでしょう。しかしこれはきっかけのある狂気であり、「常識では説明不能な破壊衝動」を意味する、現代の「心の闇」とはまったく違います。まして、たまたま同じ親という立場だからといって、子供を虐待というかなぶり殺しにする親の「心の闇」との接点はまったくなく、むしろ正反対というべきものです。
 マスコミ的な用法の「心の闇」が、初出の意味とは逆転していることに、「伝統的な美しい日本語を守れ」と連日のように主張している産経がまったく批判していないのは、じつにおかしなことです。マスコミが意味をねじ曲げた表現*1に文句を言わないのは、自分もその意味をねじ曲げてきたという自覚があるからでしょうか。その反省を、一言でも述べるべきではないのでしょうか。

虐待の連鎖断ち切れ 社会の無関心さに警鐘 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/380993/

 16日掲載の、シリーズ連載「どうしてわが子を傷つけるのか」の第5回最終回です。一見すると社会問題を提起するまともな企画記事のように思えますが、少なくともこの第5回には重大な視点の欠落があり、それが見出しのキーワードを破綻させています。
 どうして産経新聞は、既存の言葉の意味を理解せず勝手な解釈で使ってしまうのでしょうか。はっきり言えば、なぜ産経は言葉の意味を捏造するのでしょうか。繰り返し指摘していますが、「虐待の連鎖(世代間連鎖)」とは児童虐待問題でよく使われる用語で、「虐待されて育った子が親になって虐待してしまうことがある」という現象を意味します。それ以外の意味はありません。この現象については連載第2回*2で取り上げられ、「虐待の連鎖」という言葉も使われているのに、第5回の記事にはそうした言及がいっさいありません。連鎖を断ち切るためには、虐待されて育った親をハイリスク家庭として認識し、心のケアを施すことが当然必要になるわけですが、この記事にはそうした提言はまったくなく、ハイリスク家庭をいかに認知するかという切り口すら明確ではありません。いくら見出しのように社会が関心を持っても、親の生育歴が隣人にわかるはずはないのですから。社会の関心が役立つのは、近隣での虐待の存在を発見するときです(これもたいへん重要ですが、そうした指摘も明確ではありません)。では、どんな方法で「断ち切れ」と求めているのかといえば、実際に行われている虐待の現場に「いかに踏み込むか」という、その一点にしか興味がないようです。強制立ち入りが可能になったことは児童虐待防止法の大きな成果で、実は人権侵害救済法案の強制立ち入り規定にもつながるのですが*3、残念ながら産経の期待とは違って、強権でなんでも解決するために作られた規定ではありません。現場の人たちは、たとえば記事中の虐待防止NPOの人の発言を観ても、これが最後の手段であると認識しているはずです。
 この記事の見出しの「虐待の連鎖」は、あきらかに世代間連鎖以外のものを指しているわけですが、じゃあなにかといえば、これだけでは想像もつきません。ただ、以前も産経は「虐待の連鎖」という言葉をまったく違った意味で使った前科があるので*4、今回もそうなのだろうと思わざるを得ません。

*1:産経新聞の記事ももちろん含まれます。1997年当時の産経記事を検証してはいませんが、現在に至るまでの用法を考えればあてはまるでしょう。

*2: http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/379795/

*3:児童虐待防止法では、たとえば実際にあった「19歳の病気の息子をネグレクトして餓死させた」という事件には対応できないので、人権侵害救済法案はそうしたケースのフォローも目指しているわけです。運用上の監視は十二分に必要ですが、少なくとも一部の人が唱えるような目的のために作られた規定ではありません。

*4: d:id:pr3:20081031:1225458064 参照。