黙然日記(廃墟)

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産経抄の好きな売国。他。

日本人死刑通告 極刑判決の妥当性に疑問 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/376099/

 3日付「主張」ですが、産経はいつから死刑反対に転じたのでしょうか。いや、ここでもいちおう、死刑制度そのものは否定してはいませんが。もちろん、麻薬犯罪の重大さは強調されるべきですし、中国の裁判制度がいちおう三審制ではありながら秘密裁判が行われていることには重大な疑義があります。しかし産経が、たとえば死刑制度そのものに反対するアムネスティ・インターナショナルの推計を持ち出して中国の死刑制度を非難しているのは、いったいどういうつもりなんでしょうか。今回の中国での死刑執行に、わたしは二重の意味で疑問を持っているわけですが(裁判の公正さと死刑執行そのもの)、日本国内での死刑制度になんの疑念も示さず、最高刑に死刑が定められている刑事事件では必ずのように死刑を求め、それ以外の判決が出ると裁判官や裁判員サヨク扱いで非難し、厳罰化によってすべての刑事事件をなくせるかのように唱えてきた産経「主張」が、中国の厳罰主義にだけは疑念を呈すのでは、いったいなにを求めているのか、読者にはなにひとつ理解できません。

産経抄】4月3日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/376101/

 引き続き日本神話の話になってしまうわけですが、今回は『因幡の白兎』が中心です。その前に、ファンタジーとしての神話はもちろん日本だけではなく、世界各地に面白いものが伝わっています。ギリシア神話はよく知られていますが(これも原典はお子様には読ませない方がよろしいかと思いますが。てゆーかゼウスって……)*1北欧神話インド神話ユダヤ神話などが多くのファンタジー作品の原型となったように、たしかに産経の言うように、古代人の想像力をかいま見ることのできる素晴らしい文化遺産です。ここで、中国神話のつまらなさに触れておかねばなりません。本来は同じように豊かな想像力に支えられた神話体系があったはずなのですが、なまじ早くから文字が使われ、ファンタジーと合理的思考に基づく歴史記述が分離されてしまったために、たとえば司馬遷は『史記』を記述するにあたり、「うそくせー言い伝えは省いて、もっともらしい話だけ書くかんね」と宣言し、たとえば人面蛇身の祖先神の存在を抹消してしまいました。まあそれでも、探せばいろいろ出てくるんですが。
 さて、日本神話の『因幡の白兎』ですが、正確には日本(やまと)ではなく出雲の神話です。出雲神話記紀の中でかなりのボリュームを占めているのですが、簡単に言うと素戔嗚尊の八岐大蛇退治のあとは大国主命の英雄譚だけで成り立っています。最初に彼が登場するところでは、多くの別名があると説明され、続いて多くのエピソードが述べられるのですが、エピソードごとに名前が変わります。というのは要するに、多くの英雄譚を一人に合成した人物が大国主命だからですが。あんまり無茶な合成をしたので、たとえば素戔嗚尊の六世の孫という設定なのに素戔嗚尊の娘を奪う話があったり、えらいことになっています。『因幡の白兎』はその中の、大国主命(オオナムチ)が若いころ、兄たち(八十神)にいじめられていたというシリーズの一編で、他のエピソードではオオナムチは焼殺されたり圧殺されたりして、ハマグリの女神さまに癒してもらって生き返るのですが、これと並べて改めて読むと、白兎の話もかなり残酷ですよね。
 えーとそれでまあ産経抄ですが、こういう風に本来は複数の英雄譚だったものを無理矢理一つにまとめ、こうして苦労して国を作った英雄が平和裡に国を譲ったという内容に明らかに改変してあるものを、「勝者の歴史」と考えない方がどうかしています。ローマ神話などに同じような天上の神と地上の神の争いという類話があるからといって、それが「勝者の歴史」ではないという証明にはならないことぐらい、少しでも考えてみればわかるはずです。勝者が都合よく歴史を書き換えた例は、さらに数多くあるのですから。それともあれですか、産経は「国譲り」という概念の「壮大さ」が、よほどお気に入りなのでしょうか。おかしいな、最近起きた「国譲り」では、出雲神話を飲み込んだ日本(やまと)神話も「軍国思想の強化に使われた」として否定されたはずですが。

*1:あと最近気になっているのが、ニンフ(ニュンペー)の存在です。半裸や全裸の美しい娘たちが野山に遊び、汚れを知らぬ少女でありながら男好き(nymphomaniaの語源)という、どんだけ男に都合がいい妄想なんだというか、古代ギリシア人も萌えオタかよ、みたいな。