黙然日記(廃墟)

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産経「主張」、名作をものす。他。

「古きもの」軽んじるな 「新」の好印象にひそむ錯誤 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/341063/

 いきなり余談ですがわたしは、今年の漢字は「改」あたりだと思っていました。新型インフルはともかく、イチロー選手の新記録や裁判員の新制度が今年を象徴するとかは無理があるだろ、と。
 というところで30日付「主張」は「回顧2009」と題して2本分のスペースを使い、この1年の産経新聞の主張を総まとめしたものになっています。複数のテーマを詰め込みながら、今年の漢字「新」を柱にしてまとめ、読みやすいものになっています。もちろん中心は「新」政権による「新」政策への批判というか難癖というか、主張内容そのものはふだんとまったく変わらないわけですが。「新」を善の価値観として飛びつく国民性への批判は、総選挙に惨敗した旧与党の歯ぎしりみたいなものを感じますが、ふだんならこのへんにこだわって全体の構成が破綻してしまうのに、よく抑制したものだと感心しました。「新」を単純に受け容れず、古いけれども確実な方法論に価値を見いだす、本来の意味での「保守」という立場を明確にしている点でも、好感が持てます(ま、その保守的立場そのものが国民から拒否されたんですけどね)。最後になってちょっと肩に力が入っているのは、ご愛敬ですかね。
 産経「主張」で、皮肉ではなく素直な意味で、今年一番の名作ではないでしょうか。まるで普通の新聞のふだんの社説みたいです

憲法改正 首相発言だけで終わるな - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/340819/

 これはたとえば、昨日29日の「主張」と比べれば明らかです。鳩山首相改憲論者であることはいまさら言うまでもありませんが、それが地域主権の重視などを含めた時代への対応を意味すると発言したことに噛みつき「憲法改正の核心である9条」などと自分の思いこみだけで話を進め、さらに最後の方ではいきなり、衆議院定数是正の問題を持ち出します。高裁で違憲判決が出たことを受けてのものですが、「憲」の字しか合っていません。こういうむちゃくちゃな構成の「主張」(と題していますが、新聞社の社説ですよ)を連日のように垂れ流しているわけですから、30日の「主張」がいかに突出しているかはおわかりだと思います。

櫻田淳 「臣」の作法は忘れ去られたか - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/341039/

 30日付「正論」は、また雪斎翁の登場です。日本国が共和制か立憲君主制か、という話はちょうど昨日も触れたばかりですが*1、櫻田氏が「歴然とした「立憲君主制」(constitutional monarchy)に他ならない」と言うほど明確なものではないでしょう。また、立憲君主制をとる民主主義主国家において、言葉としては「君」と「臣」ということになるとしても、君臣の立場が上下関係とは限りません。むしろ、君臣が対等の関係ではないかと考えた方がよいのではないでしょうか。日本の場合は結果だけ取り入れたので見えづらいのですが、立憲君主制政治を確立したイングランドの政治史を眺めれば、絶対君主に対して臣民が憲法という枠をはめ(だから「立憲」なわけです)、力関係を対等に近づけていって、現在の「君臨すれど統治せず」に到った歴史であることがわかると思います。
 礼儀作法というのはあくまで形式を尊ぶものですから、実質が対等であっても形式として上下関係があれば、それは尊重されなければなりません。国会に天皇陛下がお出ましになれば、国民の代表たる議員たちは起立してお迎えします。外交儀礼でも上下関係をはっきりさせて(あるいは対等であることを明確にして)、上座下座を決めたりお辞儀の姿勢を考えたりします。しかしこれらは儀礼ですから、実質的な意味はありません。実質的な意味がある行為については、儀礼に縛られてはならないものです。まとめると、立憲君主は臣民政府と対等であり、儀礼上以外の点で尊重されることはないのです。*2
 特例会見問題では、「天皇の政治利用」という概念がかまびすしく言われました。象徴天皇は実質的な政治に関わるべきではない、という点は、共通認識になっています。すなわち、儀礼上の役割のみを、言ってしまえば機械的に担うだけの存在です。判断が許されていないのですから、機械的にならざるを得ません。個人としての天皇にそれをどこまで押しつけていいのか、ということは議論されるべきですが*3立憲君主制の下であっても、臣が君に何かを求めることができないわけではありません。そうした主張はむしろ、「立憲」君主制の意味を理解していないだけではないでしょうか。

*1: d:id:pr3:20091229:1262099101

*2:もちろん、生身の個人である今上に対しては、ご年齢や体力面を最大限考慮するのが、これは儀礼とは無関係に当たり前のことですが。

*3:この議論を突き詰めていくと、天皇制の否定につながらざるを得ないのですが。個人である以上、人権と自由意志は認められなければならないので。