黙然日記(廃墟)

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産経、歴史の常識に挑む。

【政論】皇居移転、幕府政治に戻すのか - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/340717/

 亀井静香金融担当大臣こと亀ちゃんが最近、パフォーマンスというかウケ狙いに走っているのは、連立少数党の党首という立場からだと思えば理解できますが、そろそろぎりぎりかな、と。まあそれはどうでもいいのですが、SANKEI EXPRESS連載「鳩山政権考」でおなじみの榊原智記者が、なんか言っています。
 どうやら榊原記者は、幕府の仕組みを知らずに現在の象徴天皇制とと幕府支配を比較しているようです。「幕府」とか「将軍」って、そもそもどういう意味だかご存知なんでしょうか。天皇に任命された征夷大将軍の略称が「将軍」であり、征夷大将軍の居場所、転じて指揮組織が「幕府」です。鎌倉・室町・江戸幕府の歴代将軍40人、また幕府を持たなかった征夷大将軍を含めた47人はすべて、天皇の勅命を受けてはじめて「将軍」と名乗ることが許されました(鎌倉幕府以前や建武政権にも征夷大将軍の役職は存在しましたが、臨時職であって世襲制ではなく、全国を支配する体制としての幕府を開くこともありませんでした)。実際にはもちろん、前の将軍が亡くなると鎌倉や江戸の幕府内で「次は長男の誰それが」「今回は嫡男がいないから水戸家から」とかやって後継者が決められ、申し出を受けた時の天皇は(当時はいちおう拒否権があったはずですが)淡々と勅令にサインして、次の将軍が正式に決められました。これが700年間行われていたわけです。武家政権時代は将軍が日本国王であり*1天皇は将軍から経済面などで保護を受けるかわりに、権威を与える役割を担っていました。
 さて、幕府体制の終了後、明治政府から大日本帝国憲法にかけて、天皇が絶対権力者である時代が80年ほどありました。そして日本国憲法の時代になり、立憲君主制*2のもとで象徴天皇制となり、政府の最高責任者である内閣総理大臣は、国権の最高機関である国会の指名に基づいて天皇が任命し、ある種の権威を与える形態となっています。
 ここまで書いておけばいまさら言うまでもないでしょうが、世襲で選ぶか民選の国会が指名するかなどの違いは別として、天皇の立場から見れば、幕府体制と現憲法は同じ象徴天皇制です。「戻す」も何もありません、すでにそうなのです。いや、解釈の違いもあるだろうし、この点に気づかないのが悪いとは言いませんよ。言いませんけど、それにしてもしかし、「幕府体制では天皇は実権を持たず、単に権威の象徴だった」っていうのは、小学校の社会科(日本史)でも必ず習うことですよ? (たとえ、つくる会版中学教科書あたりに載っていないとしても)。
 あと、皇居の京都移転案はそんなに悪くないと思う(もちろん認証式その他は京都で行うという前提で)とか、いろいろ書こうと思っていたのですが、一点の指摘だけでこの有様ですから略します。広島移転案は最初深読みしてたんですが、単に亀ちゃんの地元なんですね。

国家の正統性確立に苦しむ韓国 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/340820/

 29日付「正論」は、古田博司筑波大学大学院教授です。あの、衣服を顔料で染めるとか言ってた人*3ですね。今回もさまざまに、およそ常識の範囲外な 非常に独創的な歴史観を披瀝しています。中国の明朝と朝鮮の李朝が「兄弟国」だとか。中華思想では主従関係を父子関係に喩えるのが普通で、兄弟の比喩は同じ朝貢国の間、たとえば朝鮮と日本の間で使われます。比喩ですから兄弟でも別に間違いではないのですが、本当に東洋史の常識を持ち合わせた人なのか、疑わざるを得ません。李朝の経済がどうの、商店がほとんどく行商と市場に頼っていた、と言っていますが、当時の日本経済はどうだったかというと、楽市楽座の政策が行われる前です。その市場すらろくに開けない状況だったわけです。「リヤカーが来ると車がなかったため、ハングルで「クルマ」と呼ばれて今日に至っている」という記述があるのですが(「ハングルで呼ぶ」というのもおかしな表現ですね)、少なくともYahoo!日韓翻訳で見る限り、「リヤカー」は「리어카」、「車/くるま」は「차」と表示されます。たぶんそれぞれ「リエ(eo)カー」「チャ」だと思いますが、あまり自信がありません(特に二重母音の部分)。ただ、どちらも「クルマ」ではないことは確実です。リヤカーが入ってきた当時はともかく、「今日に至って」はいないのではないでしょうか。あと、見出しにある正統性云々ですが、韓国がまだ民主化していないという認識もすごいですね。
 この文章を最後まで(頭痛をこらえながら)読んで、腰を抜かすほど驚いたのですが、古田氏は第2期日韓歴史共同研究委員会のメンバー、それも教科書小グループのチーフだったのだそうです。責任者出てこい。彼は韓国側からものすごい非難を受けて「恨」を抱いたそうですが、自己責任です。
 ただ一つ、古田氏に前回より進歩している点があるとすれば、「染料」という単語を覚えたらしいってあたりだけですね。それでも、顔料がないから青磁を作れなかったような出鱈目を言っているのはあいかわらずですが。

*1:天皇は「皇(Emperor)」、国王は「王(King)」なので、東洋の概念でも西洋の概念でも両立し得ます。会社に会長と社長がいるようなものです。

*2:象徴天皇には実権がなく君主と呼べないから、日本国の体制は共和制だという議論も可能ですが、世襲君主の権能を極限まで制限した立憲君主制という解釈が、すでに一般的です。ここも榊原記者は何か勘違いしているようですが。

*3: d:id:pr3:20081217:1229523388 参照。