黙然日記(廃墟)

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「産経抄」「主張」、裁判に求める。他。

【主張】小沢氏秘書初公判 悪質さをさらに解明せよ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091219/trl0912190310001-n1.htm

産経抄】12月20日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/337784/

 19日付け「主張」と20日付「産経抄」では、小沢一郎氏第一秘書の初公判を取り上げています。裁判というのは一般に、悪質であったかどうかを解明するもので、悪質だと決めつける場ではありません。特に今回の裁判は、政治資金規正法(虚偽記載)の事実関係を明らかにすることだけが目的であって、検察冒頭陳述の脚色は本題とまったく関係なく、事実かどうかすらわかりません。産経抄の方ではロッキード裁判を引き合いにしていますが、この冒頭陳述にある、田中角栄氏が上機嫌に「よっしゃ、よっしゃ」と述べたという表現が、検察側の潤色(あえて言えばでっち上げ)であったことは、いまや定説になっています*1。被告が悪質な行為をしていたかどうかを判断するのは裁判官であって、検察官ではありません。たとえば、この事件に関して一時盛んに「小沢事務所から西松建設に請求書がわたっていた」という報道がされましたが、現在はまったく見かけず、冒頭陳述でもまったくふれられていません。事実だとしたらこんな決定的な証拠はないはずなのですが。実際は、西松が連絡したら事務所が寄付の振り込み用紙が送られてくることを、冗談めかして「請求書」と呼んでいただけ、という話です。それが法的に効力のある請求書だったのか、単に精神的な圧力として事実上の強制力がある書類だったのか、そうした点を明らかにするのがこの裁判の(少なくとも検察側の)目的でしょうが、これはどうなるかまったく見通しが立っていません。そして、「疑わしきは被告人の利益に」は、近代裁判の鉄則であり、まして一報道機関が一方的に断罪するような性質のものではありません。
 これだけ裁判制度を理解していない産経新聞が、報道評価委員会に裁判官レノテーマを自ら持ち出す神経が、よくわかりませんね。

多神教」システムと政治の安定 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/338045/

 宗教学者山折哲雄氏による、21日付「正論」です。冒頭部の、「仕分け」という言葉が人の行動や人格を仕分けている、という指摘が、そもそもわかりません。
 一神教絶対君主制と結びつける山折氏のメタファーは、とてもわかりやすいのですが、わかりやすすぎて的外れです。近代民主主義というのは一神教の文化圏で、おそらくはその原理主義プロテスタンティズム)と密接に関わって、誕生したものです。それは山折氏の言う「歴史に皮肉」などではなく、「神の前の平等」という教義に従った必然的なものでした。そして、「神」を「価値観」と置き換えることで、宗教観念と切り離した政治思想としての民主主義が成立するようになります。宗教と政治の関わり合いの歴史について、政治学者ではないとしても宗教学者の端くれであるなら、このていどのことは当然認識しておいてほしいのですが。

*1:この話は、別のところでも書きましたが。同じネタを使い回してしまうことはあるんですよ(笑)>b:id:mtfumiさん。もちろん、他の方の書き込みをネタ元にさせていただくこともあり、感謝しております。後述の請求書に関する件も、某所でいただいたネタです。