黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経「正論」、ニュータイプ論を唱える。他。

「心」を変えてヒトは進化する チンパンジーとの差極少 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/323886/

 13日付の「正論」は、昨日までに引き続いてご即位20年かと思っていたらいきなりサルの話で、多少面食らいました。あの、村上和雄氏の登場です。なんだかんだいって、遺伝子研究ではトップを走っていた、日本有数の自然科学者だった人ではあります。
 少し話はずれますが、「正論」執筆者で「DNA」と「遺伝子」という二つの単語・概念をきちんと使い分けられるのは、村上氏以外いないんじゃないでしょうかね。そういう意味では安心して読めますが、こんどは逆に文法レベルでアレだったりするので、書いたものをいっぺん文系の人に推敲してもらった方がいいんじゃないでしょうか。推敲するのが産経新聞校正部だったりすると、これはまことに心許ないものがありますが。
 というわけで、ゲノム研究の成果や遺伝子スイッチの発見などについての話はわかりやすいのですが、なんだかそれが例によって、おかしな方向にずれていくんですね。ストレスが(環境ストレスであれ心理的ストレスであれ)遺伝子スイッチの発動に関わることは間違いないでしょうし、「笑って暮らせば心身ともに健康に過ごせる」といった結論に到るのならまあ、ここまでの話とも、長年の経験的事実からも矛盾しません。ただ、なぜかこのへんで、似非科学的、オカルト的な表現が紛れ込んできて、「高次の人間」になるとか、おかしな結論になっていきます。敬虔な祈りが良い遺伝子をオンにする、って、なにをもって「良い」なのでしょうか。
 私見ですが、似非科学とは、価値観を優先して科学を従わせるものです。科学の方法で対象を追求し、価値観が入りそうになったら「ここから先はわからない、科学ではない」とはっきりさせるのが、(少なくとも優れた)科学者の態度でしょう。これは遺伝子科学や自然科学全般に限らず、社会科学・人文科学、さらに、いくらかでも論理的な文章を目指す人間が自戒せねばならないことです*1

CiNii - 日本語校正支援システムFleCS : 新聞校正における実力診断
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002882390

 かなりどーでもいいのですが、ちょっとぐぐってたら国立情報学研究所のサイトにこんな論文を見つけてしまいました。1992年に、日本IBM産経新聞社が共同で、新聞自動校正システムの開発に取り組んでいたようです。17年前というと、やっと全面電算化した新聞があったかどうか、一般企業や家庭では文書作成にパソコンではなく専用ワープロを使うことが主流だった時代ですから(このシステムでも、いったんプリントアウトしてからチェックすることを考慮しているようです)、まさかそのシステムを今でも利用しているなんてことはないでしょうが。しかし、産経新聞社はかなり早い段階から校正の自動化を目指していた、つまりそれだけ苦労していたと考えると*2、これはもう体質だな、というか産経新聞社の因果だな、とでも考えた方がいいのでしょうか。*3

米大統領来日 「不確実な状況」是正せよ - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/323883/

 例によって日米同盟教の垂れ流しです。面倒なので箇条書きでご勘弁。

  • 日本を大統領就任後初めてのアジア歴訪の出発点に位置づけたことを評価したい。

 あいかわらずですね。各国歴訪の場合、「さっきの国ではこんな話をしたがこの国ではどうか」という話をした方が実質的なので、最初の訪問国は(儀礼上はともかく)軽く見られていると思ってもいいのですが。

  • 初来日が同盟にとって乏しい成果に終わる見通しとなった

 「80%削減」という大サプライズがありました。個人的には、どーよそれ、とか思ってしまいましたが(化石燃料消費だけならその数字も可能でしょうが)、少なくともこれからしばらく、日米は二酸化炭素削減同盟を組むわけです。軍事同盟だけに視野狭窄しているから、こんな恥ずかしいことを書くハメになるわけですね。

*1:人文科学の場合は価値観自体を対象とする場合がありますが、そこに価値観そのものを紛れ込ませずに(たとえばキリスト教徒の価値観を考えるときに天理教の価値観を紛れ込ませずに)自らをメタ的に観察する、より冷静な態度が求められます。

*2:他にもちろん、人件費削減の意図もあったのでしょうが。1992年というと『産経残酷物語』で書かれた労働争議がピークを迎えたころでしょうか。

*3:余談。1980年代後半に「エキスパートシステム」とか「人工知能」とか「第五世代コンピュータ」とかいう概念が流行語になっていましたが、92年ごろにはそれが一段落して、これだけでアトムとか作れなくね? 自然言語解析ぐらいしか使い道なくない?(つまり、自然言語の合成はできない)てなことがようやくわかってきて、そっち方面の研究が進み始めた時期でした。懐かしいですね。検索エンジンとか機械翻訳とか、もう当たり前のように使っていますけどね……。