黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経「正論」、人あれこれ。

 少し滞貨を片づけます。

同盟の「深化」をどう担保するか 「基軸」の信頼のカギは - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/309842/

 すっかり遅くなってしまいましたが、7日付「正論」は、先日こちらにご本人らしき方からコメントをいただいた*1櫻田淳東洋学園大学准教授です。とりあえず指摘として、鳩山エッセイは「Voice」誌に掲載するために書かれたもので、ニューヨーク・タイムズに積極的に寄稿したわけではないのではないでしょうか。
 内容について、読み進めながら「あいかわらず対米追従ですね」と書こうと思っていたら、終わり近くに「議論を「対米追従」といった言葉で揶揄する姿勢もまた、政治上の「翼」の左右を問わず〔中略〕無責任とも評すべき」とか書かれてしまっていて、たいへんやりにくいわけですが(笑)。今日11日の「産経抄*2は、ノーベル平和賞に関連して、佐藤栄作非核三原則と核持ち込み密約の狭間で抱いた苦悩を引きながら、「対米追従もなかなか大変なんだよ!」とでも言いたげな雰囲気でしたが、無責任な言い方を排除した上でも、あらゆる外交方針はすべて茨の道だと指摘しておきます。同盟重視だけが特別に偉いわけではありませんし、たとえば一国平和主義だってお気楽なお花畑ではありません。「同盟の深化」を前提として、求められているインド洋給油継続だけが選択肢ではなく、「それは自衛隊の仕事ではないから断る、自衛隊が協力できるのはこの方法がベストだ」と、たとえばアフガニスタンでの新たな民生支援を提案し、治安の回復によって(迂遠ながら)テロリズム廃絶に近づけるような方向こそが、対等かつ深化した同盟の姿と言えるのではないでしょうか。


 関係あるようなないような話ですが、このブログにおけるわたしの方針の一つを述べておきます。「産経抄」「主張」その他産経新聞の無署名記事は、産経新聞そのものの姿勢として取り扱います。社内記者の署名記事は、その記者個人のジャーナリストとしての姿勢を追いかけつつ、やはり産経新聞の意見として考えます。そして外部筆者の署名記事は、(多くの場合は広義の文筆家によるものですから)その筆者の文筆家としての個性はそれとして受け止めつつ、「その文章を掲載した(または内容を予測しながらその筆者に依頼した)産経新聞の姿勢」を見ているつもりです。親米・同盟重視の筆者に依頼していたら、産経新聞としてその点を強調したいのだなと判断するし、たまに反米派の意見が掲載されれば、バランスを取ったつもりかな、それとも裏があるのかな、などと考えるわけです。
 編集者の感覚として、自社の主張を外部筆者に代弁させるなら、何でも屋のライターにテーマを指定して依頼するより、「この人ならこう書いてくれるだろう」という予測のもとに依頼した方が、権威付けなどの意味でなにかと都合がいいのです*3。いわゆる「正論」メンバーも、そうやって形成されてきた集合体ではないでしょうか。こうしたカラクリは、文章をマスメディアに売ろうと考えている人は、必ず頭に入れておくべき心得です。というわけでわたしは、「正論」欄もそういう目で見ていますし、少なくとも、「正論」欄筆者を産経専属ライター扱いした覚えはありません。

鳩山氏の友愛外交に「自己矛盾」 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/310725/

 やはり遅れましたが9日付「正論」は、写真を拝見するとすっかりお年を召されたなあ、と思ってしまう、佐々淳行・初代内閣安全保障室長です。ほんっとに、いつまで初代なのでしょうか。
 内容的には、同じ「正論」欄常連でも櫻田氏とは比較にならない自己矛盾の塊で、だいたい佐々氏は日米同盟をどうしたいのか、それすら伝わってきません。「対等」と言うばかりで、独立を求めているようでありながら同盟は維持し、核の傘に確約を求めながら自主核武装カードを残せとか、まるで訳がわかりません。「この人に日本国の安全保障を委ねていた時期があるのか……」と、思わず遠い目になってしまいました。


 どうでもいいのですが、最近Wikipedia:菅生事件について知りました。当時武装路線だった日本共産党を検挙するために公安警察が爆弾事件をでっち上げ(というか実際に自分たちで交番を爆破し)、共産党員に冤罪をかぶせた事件で、破壊活動防止法などを制定する後押しになった事件だそうです。およそ民主警察のすることとは思えない*4日本の冤罪史上でも論外の代物です。この事件の真犯人、つまり公安警察の担当者は、(警察の援助を受けつつ)数年間逃亡し続けたのですが、逃亡中に使った偽名の一つが「佐々淳一」だったことを上述の記事で知りました。菅生事件そのものは1952年ですが、真犯人が偽名を使ったのは1957年ごろ。佐々淳行氏が警察官になったのは1954年で、ずっと警備・公安畑を歩いていました。まあ、組織が架空の姓名を使うときに、(全体に関与はしていない)下っ端の名前を借りるというのはよくある話ですが。

*1: http://d.hatena.ne.jp/pr3/20091005/1254668522#c1254785804

*2: http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091011/plc0910110304000-n1.htm

*3:何でも屋に依頼した方が早いし安上がりということはありますが、そういうときはわざわざ署名記事にはしません。まして新聞社は、何でも書ける無署名ライター=社員記者を大量に抱えているのですから。

*4:ただし、警察法の改正は1954年で、事件発生の1952年はまだ厳密には「民主警察」ではありませんでした。