黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経「主張」、夏休みに一言。

【主張】夏休み 子供と真剣に向き合おう - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/279658/

 夏休みはしつけに絶好の機会、というのは、まあ同意します。早寝早起き元気な子、ゲームは1日1時間。しかし、青少年の兇悪犯罪を防ぐために、というのは、どんなもんでしょう。家庭で「人を殺すな」と教えるんでしょうか。まるで教えなかったり逆のことを教えるよりは、教えた方がいいでしょうけれど。
 そういえば思春期のころ、「自殺したいなあ」とか「親がうざいなあ」とか「親を殺したいなあ」とか思ったことがありますが、それは自由に遊んだ後ではなく、(つまらないことで)叱られた直後でした。もちろん「部屋を片づけろ」とか「宿題はやったのか」と叱ってはいけないわけではありませんが、少なくとも一定の年齢以後は、過干渉や規範意識の押しつけが逆効果を招くということを、少し考えてから新聞の論説として発表してはどうでしょうか。
 上記の、家庭で「人を殺すな」と教えるのか、という疑問についてですが、特に記憶には残っていないのですが、親子でテレビのニュースを見ながら、「ああいうことをしてはいけない」というメッセージは受け取っていたかもしれません。そういうのも、けっこう大切なしつけではないかと思います。
 それから、「主張」は近所などの子供を叱ることの必要性も唱えていますが、重要な視点が欠落しています。たとえば自転車の交通ルールを守らない子供に対して、わたしはできるだけ叱るようにしているのですが(無灯火で走るな! 飛び出すな!)、それは叱る側がルールを守っているという自信があるからです。最近の大人が子供をしかれないとしたら、それは親の反発を畏れるからというより、大人の側にルールを守っていないという自覚があるからではないでしょうか。見ているかぎりでは、自転車の交通ルールに関しては大人もひどいものですし(道の右側を堂々と走るな! 後ろの確認もせずにいきなり曲がるな!)、自動車だってひどいのがたまにいます(他の車がいなくても歩行者や自転車がいたらウィンカーを出せ!*1)。
 「道徳教育」や「規範」という形の押しつけではなく、まず自らを省みる姿勢が大切ではないか、とまとめておきます。自分に関しても、産経に対しても。

*1:あと最近の一部車種は、ステッカー等の処理ではなく構造そのものとして、ウィンカーがひどく見づらいのですが、あれはどうなっているんでしょうか。規制緩和もけっこうですが最低限の必要性は満たしてもらわないと困ります。