黙然日記(廃墟)

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産経「正論」の民族観。

【正論】榊原英資 「この国のかたち」変えるには
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/186886/

 中央集権の国家体制をやめて地方分権を推進すべし、という提案には賛同します。300程度の基礎自治体に分割する榊原氏の案は、他にも提案する人がいますが、これは賛否を保留しておきます。ちと多すぎないですかね。
 それはいいのですが、榊原氏は道州制に反対する根拠として、日本の幕藩体制の歴史的経緯をふまえて、「日本の歴史上、いくつかの地域に分裂した時期はほとんどなかった」としています。しかしこれは、単一民族国家」発言と同レベルですね。「日本」と、属国扱いではありましたが「アイヌの国」(北海道、さかのぼれば東北)、および「琉球国」(沖縄)は、つい150年ほど前まで別の国に分かれていました。
 「日本が侵略されたことはない」という史観には、「日本人同士が侵略しあった」経験も、「日本人(大和民族)が日本人(アイヌ民族琉球民族など)を侵略した」という視点も、すっぼり抜け落ちています。この文章を書いた榊原氏に、(後述する人々のような)悪意があるとは思いませんが、視点の欠落は確かにあると指摘せねばなりません。


 以下はやや余談めきますが、戦国時代の日本は、朝廷と幕府を中心とする緩やかな連邦国家ではありましたが、それぞれの大名が事実上の独立国であり、その中には加賀一向衆による宗教共和国体制さえ存在していました。中世ヨーロッパがローマ教皇を奉る独立国の集合体であったように、あるいは中国の春秋戦国時代三国時代の各国が後周王朝後漢王朝を正統とし臣下筆頭や後継者を名乗っていたのと似ています。「ゆるやかな連邦体制」の時代は日本にも長くあったのです。榊原氏が持ち出した徳川幕藩体制ももちろん、戦国時代の独立国が乱立していた体制を、徳川氏が整理し管理下においただけで、形式的には独立国の集合体でした。特定のリーダーや理念に賛同して複数の独立国が連邦に参加するという仕組みは、実は米国の合州国(United States)制度やソビエト連邦制度に似ています。幕府成立後も大坂夏の陣まで、徳川氏に属する国と対立する国が存在し、対立国がやがて徳川氏の傘下に入っていったことを思い出してください。明治以後の強固な中央集権体制が、日本史上も、世界史上においても、例外であると考えるべきでしょう。

[opinion]「単一民族」発言についての妄想。

 「単一民族」発言の話題が出たので、直接は関係ないのですが最近気になっていることに触れておきます。日本の政治家によるこの妄言は何度となく繰り返され、そのたびに問題になりました。最近の中山成彬氏の発言にも含まれていて、これは同時に出た他の妄言がひどすぎたのでスルー気味ですが、本来なら「単一民族発言」だけで国務大臣の進退を問われていても不思議ではないぐらいの発言でした。中山氏は国交相を3回ぐらい辞任するべきところだったのです。
 不思議なのは、なぜ同じ発言が繰り返されるのかです。10年15年と自民党国会議員をやっていれば、この発言で辞めた(辞めさせられた)大臣が何人もいることを知らないはずはありません(何人辞めたのか、わたしは知りません。多すぎて数えていられないので)。たとえば、「成田反対派はゴネ得」という政治家発言は過去になかったし、多少でも記憶力のある政治家なら二度と公の場で口にしないでしょう。にもかかわらず、同じ「日本は単一民族だから〜」という発言だけは、何度もなんども繰り返されるのです。
 ここからは妄想ですが、“自称保守”の右派政治家の間で、あるいはなんらかの勉強会のような組織で、「日本は単一民族国家」という相互確認、言ってしまえば洗脳教育が行われているのではないでしょうか。彼らの考えるニッポソは、おそらくたしかに単一民族国家なのでしょう。そう決めつけることにどんな意味があるのかはわかりません。同質で従順な国民しかいない国が支配しやすいことは確かですが、支配しやすくするために単一民族だと決めつけるのは、原因と結果を取り違えた呪術的な思考法です。仮にも選良と呼ばれる人たちの中に、何人も何十人もそんな原始的な思考しかできない人が含まれているとは思いたくないのですが。