鳩山法相の正義。
朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/154691
この件に関して、わたしの見た範囲では産経の報道の問題として取り上げている人が多いのですが(一方でiza!ブロガーやニュー速民などは朝日の問題として大喜びしているようですが)、他紙も報じています。たとえば毎日と読売の記事。
鳩山法相:朝日新聞の「死に神」報道不快感 - 毎日jp
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080620k0000e040060000c.html
私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている(中略)社会正義のために苦しんで執行した。
朝日新聞夕刊素粒子欄「死に神」の表現、鳩山法相が抗議 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080620-OYT1T00378.htm
そして少し遅れて、本命朝日新聞の記事も出ています。
法相、朝日新聞夕刊コラムを批判 「死に神」表現で - asahi.com
http://www.asahi.com/national/update/0620/TKY200806200165.html
もっとも、たしかに産経の報道もおかしくて、たとえば「「死に神」と報道した」という表現はどうでしょうか。コラムが「報道」だったら、産経新聞は「産経抄」についてだけでも、ほぼ連日謝罪記事を出さなければならなくなるのですが(もっとも、純然たる記事で純然たる誤報・捏造があっても、訂正だけで謝罪なんかまずしないのが産経新聞ですが)。
ところで、毎日の記事から引用した発言について。鳩山邦夫氏が「正義」を口にするたびに、どこかで読んだジョークを思い出します。詳細が確認できなかったので、記憶を頼りに再現します(もっとも、ジョークは本来口承文学なので、オチやテーマがそのままならば、話者が変わるたびにディテールも変わるのは問題ないでしょう)*1。
冷戦時代のチェコスロバキアにも、大臣病患者がいた。
「なんでもいいから俺を大臣にしてくれ」
「もうポストはいっぱいで、新設するにも担当すべき仕事がないよ」
「海軍大臣はどうだ」
「我が国に海軍はないぞ」
「かまうもんか、ソ連にだって法務大臣(Minister of Justice)がいるんだ」
*2
「これで数日後に確実に死刑が執行される」というサインの重みは、実際に執行する刑務官が感じる重みに近いものがあるでしょう。「ベルトコンベア式」発言は、表現が悪いという以上に彼の発想の根本にある問題を象徴していると思うのですが、言いたいことは理解できます。「判断」をするのは裁判官(および裁判員)だけで、法務大臣以下の行政官はなにも判断せず、執行の重みとは別に判断の重みを背負う必要はないはずです。だから行政官が判断する必要がないようにできないか、ということでしょう。制度が存在する以上、行政の仕組みとしてはそれが当然であって、ここで問題が発生するなら、制度そのものが間違っていると考えるべきです。
政治家あるいは行政官、まとめていえば「お上」は、必ず「人」でなければならず、「神」もしくは超越的な存在として扱ってはいけません。そういう視点からは「素粒子」は軽率だったでしょう。ただ、おそらく鳩山氏が怒っているだろう「死をもたらすなにか」として扱った点については、なにが問題なのかわかりません。現時点では、法相が何らかの判断を下す仕組みになっているのですから。もしかしたら鳩山氏は、執行書に自分がサインしたことが、13人の人間の死につながっていることを、よく理解できていないのかもしれません。行政官は必ず「人」でなければならず、「人でなし」であってはならないのですが。