黙然日記(廃墟)

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産経コラムとフジテレビのアニメ。

【コラム・断】文芸誌の無反応
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/dan/149473

 文芸評論家・富岡幸一郎氏による「コラム・断」を読んで、「小説とは『書き立てる』ものではありません」というセリフを思い出しました*1
 小説家は身近な出来事や社会的テーマに取材しますが、その意味を自ら咀嚼してからでなければ、小説の形で吐き出すことはできません。それには一定の時間がかかるのであって、いわゆる時事ネタを1ヶ月ていどのインターバルで小説の形にしてしまうのは、少なくとも「すばる」「新潮」など富岡氏の挙げている純文学雑誌の役割ではありません*2。棲み分け以前の問題です。
 今朝(6月1日)フジテレビ系で放映されたアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第60話(脚本:吉田玲子・演出:土田豊)のアバンタイトルでは、その回の内容に合わせた「親から子供への過剰な期待」が悲劇につながる可能性を示すモノローグとともに、そのモノローグとはとりあえずまったく関係なく、斧で薪を割る場面が描かれていました。両者を併せると、ある事件を連想させるシーンです。子供向けテレビ放送の枠における社会への言及としては、かなりショッキングな表現だと感じました(事件を連想しなければ、なんということはない、ただし意味不明なシーンでしたが)。この事件については、あるホラーアニメ作品との関連をこじつけた報道があり、「サンスポ」と「夕刊フジ」を筆頭に、ホラーアニメを激しく非難する論調が見られました*3。今回の『鬼太郎』は、ホラーアニメ側からのメッセージだと見ることもできるかもしれません。その事件からは8ヶ月以上が経過しています。シナリオライターあるいは演出家が、事件を咀嚼するまでにそれだけの時間がかかったのでしょう*4
 もっとも富岡氏は続けて、『沖縄ノート』訴訟に対する文学界の無関心を指摘しており、これは妥当なものだと思います。政治以外に文芸表現そのものにも関わる問題ですから、小説の形でなくても、文芸評論の中で扱われていいはずです。“子供向けのテレビアニメ"でさえ、社会的事件への言及は可能なのですから。

*1:筒井康隆『大いなる助走』ISBN:9784167181147 より。暗記するほど読み込んだ作品ですが、今は原文に当たっていないので、表記は違っているかもしれません。

*2:『大いなる助走』の数年前まで筒井氏は、時事ネタをエンターテインメント小説にしていちはやく中間小説誌に発表する作風(芸風)で売り出していました。それがたいへん苦痛であったことは、同作中の自身をモデルにした人物のセリフ、あるいは他のエッセイなどからも伺われます。引用したセリフも、作中での扱いにかかわらず、作家の本音を吐露していると見ていいのではないでしょうか。

*3:参照 http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070921/1190380719 および http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070925/1190732333

*4:もちろん、表現にテーマ性を盛り込むことはむしろエンターテインメント作品の方が難しいので、純文学ならもっと簡単にこのテーマを扱えるはずだ、とも言えますが。