黙然日記(廃墟)

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古森義久氏、青春を裏切る。

朝日新聞カンボジア大虐殺を「優しい」と評した――証言者の死で蘇る記録 - ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/531513

 映画『キリング・フィールド』のモデルになったディト・プラン氏の訃報を受けて、ポル・ポト派カンボジアを支配した当時の朝日新聞記事を持ち出し、史上まれに見る大虐殺で知られる政権を「優しさ」と評価している――という主張をしています。
 コメント欄でni0615氏とsuguru726氏、他にApeman氏*1が指摘済みですが、これは虐殺開始以前の記事です。時系列を無視してまだ起きていない出来事を批判していないという理由で非難する発想は、普通の人にはなかなか真似できないものですね。
 古森氏自身がこのエントリの中で、「ポル・ポト派75年4月からの数年間、もの凄い大虐殺を続けました」と書いているのですから、この記事が書かれた75年4月時点で虐殺が起きていなかった(いたとしてもまだ小規模だった)ことは認識しているわけです。あるいは、エントリの中でこの記事が75年4月のものであると明記していないから、言い逃れはできると思ったのでしょうか。プノンペン陥落直後の記事であることは読めばすぐわかるのに。
 コメント欄がひどい。この記事を書いた和田俊記者に対する他ユーザからの非難に対して、古森氏は和田氏と面識を持ちホームパーティーに呼ばれたこともあり、すでに故人でもあるから個人攻撃はしない、と言っているのですが、「この記事そのもの」への非難は繰り返しています。この記事を通した朝日新聞社の体質が問題なのだ、というつもりらしいですが、この言い逃れで記事を書いた記者への非難にならないと思っているのでしょうか。
 ni0615氏とsuguru726氏による、75年4月時点でポル・ポト派の大虐殺を把握していた報道機関はない(そもそも大虐殺のピークはプノンペン占領後の76年〜77年)という指摘に対するコメントは、「「大誤報」という漢字のどこかが間違っている、というような次元のヨタ話」というとぼけっぷりです。ていうかこれ、とぼけてるうちに入るのだろうか。言い逃れが明後日の方向すぎて理解不能です。
 不思議というかわけがわからないのは、この“誤報"記事を持ち出した時点で、こうした反論が来ることを古森氏は予想できなかったのか、ということです。本人がなにか勘違いして、75年時点で大虐殺の指摘ができたはずだ、と信じ込んでこれを持ち出したのか、とりあえず朝日批判をしてしまえばあとはいくらでも言い逃れできる、と思っていたのか。75年当時にベトナム駐在記者だった人が、カンボジア情勢の推移を覚えていないとは考えられないし、言い逃れできると思っていたのなら、自信過剰というか、いやそれにしても理解不可能だな。なんのつもりだったんだろう。
 もしこれが、プノンペン陥落後しばらく経ってからの本多勝一氏(当時朝日新聞記者)による記事を持ち出したなら、まだ話はわかるのですよ*2。もっとも、本多氏は現役ジャーナリストなので、そんなエントリを見たら猛烈に反論してくるでしょうねえ。古森氏がそれを恐れているとは言いませんが。
 1975年のインドシナ半島は、古森氏にとって、また上記本多氏やおそらく和田氏にとっても、ジャーナリストとしての輝かしい思い出の舞台でしょう(そこで発生していた最悪の悲劇とはまた別の話として)。当時、真実を世界に伝えるため命がけでベトナムを取材していた若き古森義久毎日新聞特派員が、33年後のこの古森blogを見たら、どんな想いを抱くのでしょうか。

*1: http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080403/p4

*2:この本多記事には賛否両論あるようですが、少なくとも一定のレベルの批判は成立するわけで。