産経新聞の謝罪の方針に関する私見。
なんとなく思いついたことなのですが。ここ数日の「11万人」騒動にしろ、その前の学ラン問題にしろ「GHQの許可」を「命令」と誤訳した問題にしろフィリピン日本兵報道にしろ、産経新聞が矛盾した記述とか事実誤認とか誤報とか捏造とかをやっても、たとえ「訂正」はしても、まず「謝罪」ということをしないんですね。今挙げた例はすべて、訂正(見苦しい言い訳付き)のみで謝罪はありませんでした。思い出せる範囲で、他から指摘されて産経が謝罪したというのは、秋篠宮殿下ご発言捏造のときぐらいまで遡れるんじゃないでしょうか。*1 *2
産経のこの謝罪嫌いというのは、ウォッチャーの間でもときおり話題に上るのですが、あまりに世間の常識から外れた姿勢なので、たいていは「まあ産経だから(笑)」で終わってしまいます。ただ、ご発言捏造事件のことを思い出したとき、こういう基準で謝罪するかしないかを決めているのではないか、という可能性に気付きました。
- あきらかに誰かが直接的な迷惑を被った場合には、謝る
これは当たり前の話で、どのメディアも(基本的には)謝罪する場面です。しかしそれと同時に、こういう基準もあるのではないでしょうか。
- 報道倫理や一般常識に反したことをした場合は、謝る必要はない
これも、どのメディアも謝罪する場面なのですが、産経だけは基準が違うとしたら。
モラルや常識は“目に見えないもの”なので、「そんなものを守る必要はない」と公言し、行動する人がたまにいます。周囲にいる人間としてはひどく迷惑なのですが、直接的な迷惑ではないし、筋道立てて反論するのはかなり消耗する(そしてたいてい徒労に終わる)ので、「彼はそういう人だから」と放置してしまうことになりがちですね。まあ個人の話はともかく。
産経新聞がこういう基準を持っているとしたら、どうでしょう。およそ想像の範囲外だったので今まで考えもしなかったのですが、この可能性に気付いたら、なんだか納得できてしまいそうです。もちろん認めるわけではないのですが、「産経くんはそういう人だから」という納得です。
しかし、仮にも報道機関を名乗る組織に、こういう基準で(しかも基準を明言せずに)行動されると、周囲の迷惑は直接的と言っていいレベルになってしまいます。報道全体に対する社会からの信頼が揺らぐことになりますし、報道界そのものがガタガタになりかねません。そのために報道倫理というものがあるのですから。
できれば、この私見が間違っていてくれるといいのですが、そうするとまた、産経が謝罪しない理由が謎、という地点に戻ってしまうんですよねえ。