黙然日記(廃墟)

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古森義久氏と産経抄にジャーナリストの自覚はあるか。

 ジャーナリストとして使命に殉じられた長井健司氏に、心よりの哀悼の意を申し述べます。合掌。

小沢一郎氏の信奉する国連の無力さ――中国に縛られた安保理-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/320039

 さて。この、今の現時点でビルマ*1の情勢を取り上げておきながら、国連批判はまだいいとして中国批判と小沢氏批判へ持っていこうとする自称ジャーナリストの態度に呆れかえり、ツッコミを入れなくてはと思っていたら、考えていたことほとんどをStiffmuscleさんに先に書かれてしまって(コメント欄含む)、どうしようかと。

Stiffmuscleの日記 - 矜持をかなぐり捨ててまで弁護したいものは何?
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070929/p1

 こういうときは産経抄、と思って読み返してみると、こちらもやはりビルマ情勢の話題で、こちらもやはり、呆れかえるようなものでした。

産経抄】9月29日-イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/87287

 古森氏も産経抄子も共通して、世間的には自分たちが、亡くなられた長井さんと同じジャーナリストというカテゴリに含まれているという自覚が、まったくないのではないでしょうか。産経抄は前フリとして利用しているだけ、古森氏にいたっては一言もありません。
 事実を伝える必要があれば、誰になにを言われても、自らの生命が危険に晒されることがわかっていても、それでも現場に飛び出していくのが、ジャーナリストの使命ではないでしょうか。もちろん、役割分担というものはあります。カメラマンや記者は最前線に出ていくことが役割であり、その素材を受け取って部屋の中で記事にまとめ、より効果的に事実を訴えることがデスクや論説委員の役割です。しかし、部屋の中にいても常に最前線のことを忘れずに、現場の苦労を、そこに出ていく者の志を、せめて共有しようと心がけるのも、同じジャーナリストとしての最低限の役割であり、義務でもあるのではないでしょうか。

ミャンマーの反政府デモを取材中に銃弾を受け、死亡した長井健司さんも恐らく群衆の側にいたのだろう。日本と同じアジアの国で、治安部隊がいとも簡単に群衆に対し銃を撃つとは思わなかったのかもしれない。しかも至近距離で撃たれたという情報もある。

 ジャーナリストが至近距離で撃たれたという事実が、なにを意味するのかもわからないのか。この産経抄の文章を改めて読み返してみると、認識の甘さに呆れると同時に、責任感の無さに、怒りすら沸いてきました。ジャーナリストの志を共有できないのなら、ジャーナリストを名乗ることはやめなさい。新聞の形を取ることもやめなさい。産経の新聞記者たちに、少しでも良心があるのなら。

*1:他のところでも説明しましたが、わたしはミャンマーへの呼称変更に正当性がないと判断し、国名としてビルマの呼称を使っています。