古森義久氏、つまみ食いする。
小沢一郎氏がワシントン・ポストに酷評された――「反米感情を悪用する策略」-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/317910
9月13日付ワシントン・ポストの記事を紹介して、小沢氏が酷評されていると言っています。なんかだらだらと訳文だか解説だかわからない文章を並べているのですが、なんだろうこれは。記事にしようとして諦めて、でも惜しくなってblogで公開したのかな。それにしても形式ぐらい整えりゃいいのになあ。
さて、古森氏の翻訳をあてにしてもしかたないので、原文に当たってみましょう。
A Japanese Retreat? - washingtonpost.com
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/12/AR2007091202263.html
例によって自動翻訳を参考に辞書を引きながら読んだので、ニュアンスの点では自信がないのですが、これって酷評なの? 米国視点で対アフガニスタン活動を勧める内容で、インド洋から手を引かれると困る、反米感情が利用できると思われると困る、といった部分的な文章は古森氏の訳と一致するのですが、都合の悪い部分はいろいろとすっ飛ばしています。「日本の給油活動は些細ではないが加独仏などと比べればわずかだ」とか、「彼の辞任は『職責にしがみつかない』発言がしょうもない計算ミスだったことを証明している」などの安倍批判の部分とか*1。ていうか13日付(電子版に出たのは12日中のもよう)、つまり安倍辞任直後の解説記事なのですから、記事の前半はほとんど安倍批判なんですよね。
WPがこの記事で前提としている条件もおかしいような気がします。安倍辞任の直後は日本中が混乱していた、ということを当時書きましたが、もちろん世界が日本を見る目も混乱していたわけで、「小沢民主党の姿勢が反米である(またはその恐れがある)」というWPの主張が正しいのかどうかから検討してみる必要があるような。この時点では日本国内でも、小沢氏の姿勢が反米主義ではなく国連中心主義だということが、あまり認識されていなかったように思います。
たいていの場合、たとえば従軍慰安婦問題などについては批判しまくりながら、こういうときだけワシントン・ポストの無謬性を信じるかのような古森氏の行動が、たいへん不思議です。
おまけ。
なんかあほらしすぎて取り上げる気にもならなかったのですが、ついでなので昨日の古森blogから。
慰安婦は性的奴隷ではなかった――伊藤桂一氏の名作が描く兵士と女性の交流-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/316024
……もう百万遍言ったと思いますが、フィクションと現実の区別をつけてください。
世間を見ると、「読むのは社内文書と日経だけ」という企業戦士にはときどき、フィクションという概念をそもそも理解できていないタイプの人がいるのですが、新聞記事を書く側がそれじゃ困るでしょー。産経とかサンスポにはそういうタイプの記者が多いのかもしれませんけどね。なんかなー、「フィクションが子供に悪影響を与える」とか言い出して捏造してまでフィクション作品をバッシングする記者って、こういうタイプの人なんじゃないかなー。