黙然日記(廃墟)

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古森義久氏とメディアリテラシー。

戦争と女性ーー「氷雪の門」にみる日本女性の悲劇-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/169614

 こっちは遠慮なく批判させてもらいます。
 古森さん、現実とフィクションの区別はつけてくださいね
 事実か虚偽かわからないような証言を元にして報道するのは、まだ理解できる範疇です。しかし、引用されている田久保忠衛氏の文章でも同じですが、あきらかにフィクションとして作られた映画を元に、それが事実であるかのように報道するのは、よほど恥知らずのプロパガンダか、現実と虚構の見分けがつかない非文明人の所行か、どちらかです。
 普通に現代の日本や米国で生きている人なら、「フィクション」という概念は理解しているはずです。といっても実際には距離感をつかめない人も多くて、「ゲームやマンガで性や暴力が描かれていると子供がそれを現実だと思って真似するに違いない」と主張して規制したがる警察庁生活安全課長や埼玉県知事や教育再生担当首相補佐官が実在したりもするわけですが、そんな純潔カルトに脳を破壊されたような連中とは、古森さんは違うと信じます。いや、信じたいところです。
 いくら「実話に基づいた映画」でも、それは「フィクション」です。たとえば三国の争いという実話に基づいた小説でも、「諸葛孔明が天に祈りを捧げるやにわかに一陣の風吹き渡り」みたいな描写が入りこんでくることがあるわけです。それに基づいて「孔明は超能力者だった」と主張する人がいたら、まあ普通に正気を疑われますね。あとは程度問題であって、どんなに史実を調べた上で構築されたものであっても、一度「フィクション」という箱に入れられたものは、現実の問題に関する証拠能力を失います*1。これは、バラエティ番組の健康情報をまに受けない、というのと同程度のメディアリテラシーなのですが、産経新聞関係者はときどき(「産経抄」や「正論」を含めて)、この境界線を無視することがあるようです。本人たちにリテラシーがないのか、大衆を侮ってミスリードしているのかは不明ですが。

追記。

 コメント欄にも書きましたが、改めて追記。そもそもこれは、日本が従軍慰安婦へ謝罪するべき、という決議案に関する話題だったはずなのですが、古森氏と高橋氏は(どっちが先導しているのか知りませんが)この件で不利になってきたことを自覚したのか、まず進駐軍慰安婦が提供されたという話題に矛先を逸らし、これが「結局日本政府は『軍隊には慰安婦がつきもの』と考えていて自主的に差し出したんじゃん」と指摘されはじめると、今度はソ連軍の話題に方向転換しているわけです。うまく話をはぐらかされてそっちに乗ってしまった自分も情けないのですが、現実とフィクションを本気で区別できないような原始的な人たちとは思えないような手口ですね。ということは、もう一方の可能性ですか。

*1:フィクションには、事実の提示以上に真実に切り込む力がある――むしろそれが本来の役割であることは強調しておきますが、それはフィクションの価値であって事実の価値ではなく、報道という場にそぐわないこともまた強調しておきます。