黙然日記(廃墟)

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産経野口記者の居場所。

 新聞休刊日の5/7分です。手塚治虫先生が『ジャングル大帝』主題歌への冨田勲氏の起用*1に反対して、「交響曲の作曲家はオペラを書けない、逆もしかり」と指摘した話には唸らされました。なるほど、モーツァルトでさえオペラは、まあぎりぎりかな、ぐらいですから。常識といえば常識なんでしょうが、まだ常識を学んでいるクラシック初心者です。

【軍事情勢】韓国船沈没で見えた日中韓「水兵」の差(1/4ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140507/kor14050711050001-n1.htm

 思ったんですがのぐっちこと野口裕之記者は、文章のツカミだけはうまいんですよね。全体にも、没論理ながら読み終わった後に信じたい人を信じさせてしまう勢いはある。新聞記者より、四流週刊誌の記者が向いていたんじゃないですかね。「【任侠情勢】○○組vs××組 抗争の行方は」とかの記事で。まあこれでも一度は新聞協会賞を受賞しているわけで、何度も言うけど、信じられませんねえ。
 セウォル号沈没にこと寄せて、無責任な乗組員も英雄も、どこの国にもいる、といちおう断った上で、またも帝国海軍の英雄譚、「勇敢なる水兵」を延々と引用します。「勇敢なる水兵」はご存知のとおり軍歌ですが、瀕死の状況で敵艦の沈没を案じた末端の水兵の、愛国心あふれる勇敢さを讃えたものです。けなす気はありませんが、それならば高校生を救出して救命胴衣を譲り、さらに探索のために飛び込んでいって行方不明になったというセウォル号乗組員の方が、はるかに英雄の名に値するでしょう。「勇敢なる水兵」にしろ、大半の水兵や兵士は「天皇陛下万歳!」ではなく「お母ちゃーん!」と叫んで死んでいった中、まれにそういう人物がいたからこそ記録に残り、歌にまでなったのではないでしょうか。《国家存亡の分かれ目は、名もなき戦士による自己犠牲の数であった、と言っても許されよう》とのぐっちは言っていますが、許されないのではないでしょうか。この日清戦争において、いかに大日本帝国海軍が武士道にあふれ、大清帝国中央と北洋艦隊が怯懦であったかを得々と説くのですが、武士道ってそういうもんでしたっけ。維新から30年の日清戦争時点で、日本陸海軍にどれほど“武士道”が浸透していたのでしょう。
 まあ仮に万が一たとえとして日本が武士道の国であり、中国(清)と韓国(朝鮮)が中華思想の国であるとすると、この次に引用されている呉善花氏が「正論」講演会で語ったという言葉が、違った意味を持ってきます。《「文治主義の韓国は武士道の国・日本を野蛮な国と蔑視し『われわれが正さなければ軍国主義が復活する』と思っている」》。のぐっちは中華思想をまったく理解していないようですが、文明に最大の価値を置き文治主義を旨とするのが中華思想であり、これは現代で言えばシビリアン・コントロールです。武士道に価値観を置けば軍事国家の道を歩まざるを得なくなり、その結果は歴史が証明するところでしょう。呉氏やのぐっちの意図とは逆に、この指摘は中華思想(文治主義)の正しさをこそ説き、日本が誤った道へ進まないように警告するものになっているのです。《都合良く歴史を捏造・粉飾し、恥と思わぬ中韓》と書くのぐっちこそ、恥を知らねばなりません。

*1:で実際どうかというと、児童向け歌曲としては良質ですが、アニソンとしてはどうかと。セールス的にも失敗だったそうですし。