黙然日記(廃墟)

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産経「主張」の“国家”観。

【主張】憲法と権利・義務 「国守る意識」を高めよう - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130501/plc13050103250004-n1.htm

 産経「国民の憲法」要項の解説が続いていますが、今日はいよいよ核心となる「権利と義務」についてです。これは「国民と国家の関係」と言い換えてもいいでしょう。産経新憲法要項がトンチキなのは羞恥 周知の上なので、それを解説する「主張」の輪をかけたトンチキチンにツッコんでみます。
 まず基本として、憲法は国家を束縛するものであり、国民を束縛するものではない、国民から国家に突きつけた約束証文なのだ、という認識をまったく欠いている点が問題です。義務の増大、権利の制限などを賞賛しているこの「主張」は、憲法を“国家”から国民への証文だと認識しています。このこの“国家”とは、国民が主権者として共同で作り上げる「国家」ではなく、天然自然のものとして存在するように産経は感じているのでしょう。国民より“国家”を優先させる発想は、そうでなければ出てきません。そしてそうであるならば、その“国家”とは民主国家ではありえません。産経が「民主主義」を唱え、「民主主義の価値観」を強調しながら、民「主」主義をまったく理解していないことが、この新憲法要項および「主張」に如実に表れています。
 《義務や責任、公共心の軽視など行き過ぎた人権偏重がもたらす弊害》とは、いったいなんでしょうか。どこまで行けば「人権偏重」なのでしょうか。人権は、人類の先達が血を流して購ってきた財産です。その相手は“国家”でした。国民が国家に要求する人権は、過大ということはありえません。人権の相互侵害、つまり国民と国民の間で衝突する場合は国家(司法など)が調整する必要がありますが、それを“国家”の権利と考えるべきではないでしょう。《「権利は義務を伴う。国民は、互いに自由および権利を尊重し、これを濫用(らんよう)してはならない」(第18条)》なる条文はトンチキもいいところで、これがこの新憲法要項の核心部分です。もちろんトンチキさの核心という意味で。この条文が核心であることは産経も承知しているらしく(ただし逆の意味で認識しているのでしょう)、うやうやしく掲げれば読者を黙らせられるだろうと、トンチキチンなもくろみを感じさせます。
 国民に社会奉仕などの義務を強要すると同時に、徴兵まで視野に入れていたようです(条文としては含まれていませんが)。呆れたものです。「日本国民は国防の意識が低い」という点に行数を割いていますが、あえて理由を求めるなら現行憲法戦争放棄原則と同時に、日本国民には自ら国家を作り上げたという実感がないことにあるでしょう。憲法に基づいた民主国家を(天賦の“国家”ではなく)我々が作るのだ、という教育こそ必要なものでしょう。もちろんそのときの「国防」とは、銃を持って血を流すこととは限りません。産経「主張」の思惑はあきらかに別のところにあり、自国民に血を流させることが楽しみで仕方なさそうではありますが。