産経「主張」の強い国家観。
終戦祈念日です。世間は各種パフォーマンスでなにかと騒がしいようですが、「いくさを終わりにするため祈り念じる日」として、黙祷いたします。合掌
【主張】終戦から67年 英霊に顔向けできるか 平和と繁栄守る「強い国家」を+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120815/plc12081503170004-n1.htm
遺骨収集は国家的重大事案で、なんとかしなければなりません*1。戦没者のためにできることはそのほかに、こうして(どこにいても)手を合わせ、不戦の誓いを立てることではないでしょうか。戦没者の魂は少なくともすべてが靖国神社や護国神社にいるとは思えず、月遅れ盆でもあり実家のお仏壇に戻っているかもしれないし、うちの宗派ではすでに彼岸に渡っていると考えます。国全体に死者の霊があふれていると考え、どちらに向けてでもなく祈りを捧げるのが、本来の日本の伝統です*2。
繰り返すようですが、戦没者の無念は、不戦の誓いだけによって晴らすことができます。平和のための礎となった人々に対して、敬意を示すにはそれしかありません。《英霊が守ろうとした家族や郷土、さらには祖国》というならば、くにを破壊する戦争を二度と起こしてはならないのです。参詣「主張」は、「英霊は国家を守ろうとしたから、それに答えるために国家主義を復活させるべきだ」と唱えているわけですが、とんでもない話です。
あとは例によって反原発への批判、オスプレイ反対運動への批判、そして現憲法への批判を牡蠣並べていますが、どさくさ紛れとはこのことで、戦没者への礼を失するにもほどがあるというものでしょう。国土を守るという意味では、不戦の誓いも反原発も同じ志に基づいています。
《平和と繁栄を守り抜く強い国家》とは、けっして、軍事国家建設ではありません。戦争はくにを破壊するという教訓を噛みしめ、平和こそが繁栄の礎となる国家の目的だという強い信念を持つことです。その目的が、今、失われつつあることを危惧します。いまこそ、日本国を国家として立て直すことを考えるべき機会です。