黙然日記(廃墟)

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産経抄の文章力はゼロではない。

産経抄】5月26日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110526/trl11052603010002-n1.htm

 うわぁ。こういうあまりにひどい文章が「産経抄」を名乗っていると、ファンクラブ会員としては嬉しくなってしまいます。
 まず、前半と後半があまりに乖離していて、なんのために前半を振ったのか、まるでわかりません。《それはさておき》って繋ぎはどうよ。前半の中でも『関白宣言』と斑目春樹原子力安全委員長の発言を対比しているので、バラバラ感はいっそう強まります。
 科学者は、常に慎重な言い回しをします。その理由も背景も理解できない輩が、簡単に結論を出す似非科学疑似科学)へと飛びつくわけですが、抄子も斑目氏の発言をまったく理解できていないことが明らかです。ほんのわずかに可能性がある「事実上のゼロ」を表現するとき、政治や文学、あるいは似非科学は「ゼロだ」と言い切りますが、まともな科学者は「ゼロではない」「ゼロと言ってもほとんど間違いない」など、残された可能性を考慮して発言します。今ここに隕石が落ちてきてわたしに命中する可能性は、日常会話では「ゼロだ」「ありえない」で通用しますが、科学的には「ゼロではない」「ありえる」でしょう。その慎重な発言が、政治の世界なら「ゼロ」と解釈して通じる、という釈明も、おかしなことはありません。
 それはさておき(真似してみました)、「事実上のゼロ」となおも慎重な言い方を続ける斑目氏に対して《「ゼロ」との言い切り方》とは、いちゃもんにも程があるというものです。ここまでの、なぜ斑目氏の発言が変遷してきた(ように見える)かの理由を、やはりまったく理解していないとしか思えません。
 後半の冤罪に関する議論にも、いろいろ言いたいのですが、この「産経抄」も大筋としては間違っていないので(おまえが言うな、的なところは例によってありますが)、パスしておきます。