黙然日記(廃墟)

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産経「主張」が素晴らしく正しい意見を掲げる。他。

 国立民俗博物館の新しい展示に関し、昨日紹介した5日記事では産経東京版だけが《偏向展示》とし産経大阪版は《改悪》という表現だったことをコメント欄でpipisanさんに教えていただきましたが、7日付【主張】も引き続きこのテーマです。

沖縄戦展示 政治主張で史実歪めるな - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/481637/
【主張】沖縄戦展示 政治主張で史実歪めるな - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110107/trd1101070246001-n1.htm

 政治主張で史実歪めるな
 政治主張で史実歪めるな
 政治主張で史実歪めるな

産経抄】1月7日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/481636/
産経抄】1月7日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/110107/art1101070243000-n1.htm

 元日とかほんとにすることがなくて、天皇杯が始まるまでぼんやりNHK総合を観ていたら、ちょうど柴田トヨ氏のドキュメンタリーを再放送していました。大晦日よりこちらで見た人の方が多かったんじゃないかと思います。詩集のタイトル『くじけないで』や抄子が断片的に引用している安っぽいフレーズからの印象と違い、朗読された詩の全文は、きちんと文芸として成り立っているもので、悪くないと感じました。ただ、新聞に投書していたころの切り抜きというのが画面に映されたのを見て、それが「朝の詩」コーナーだったので、ああ、これはそのうち「産経抄」で大騒ぎするだろうな、と思ったものです。せっかくの良い詩なのに、なぜ産経なんかに投稿したのでしょうか。

年頭にあたり 日本の命はまた、あらたまる  - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/481638/
【正論】年頭にあたり 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110107/trd1101070245000-n1.htm

 7日朝刊に掲載するため、4、5日前に書かれた文章なのでしょう。まだおもいっきりお屠蘇気分だったようで内容が酩酊状態なのですが、日本人は初日の出を拝むと万世一系天皇家を思うというのが、おおまかな論旨です。一部に同意できる部分があるかと思えば、大半はツッコミどころばかりという有様ですが、一箇所に特に注目してみます。
 唱歌『一月一日』を作詞した千家尊福は、出雲大社宮司経験者として「終わりなき世のめでたさを」という歌詞に、万世一系を表現したのだとしています。はたして本当にそうでしょうか。1845年に生まれ、国家神道が確立する前に出雲大社宮司になるための教育を受けた彼が、そういう世界観を持っていたのか。実際に千家は、出雲大社教創始者でもあり、国家(大和)神道と出雲神道を区別していたかもしれません。国家神道確立期の風潮に迎合するなら、具体的に「終わりなき天皇家のめでたさを」とか、語調を合わせるなら「君のとこしえめでたきに」とか、具体的に書いていても不思議ではありません。この一節を取り出すならむしろ、大和王朝に敗れ服属した出雲の視点から、「国は敗れても山河は残るように、人の世界は永遠だが特定の支配者が永続するとは限らない」という呪詛の意味を込めたのではないか。そんな憎まれ口を叩いてみたくなります。いや、さすがにこれは強引すぎる解釈だろうと思いますが。
 ……と、ここまでは《出雲大社宮司》という記述からの直感で書き*1、ウィキペの冒頭部だけ見てデータを補ったものなのですが、Wikipedia:千家尊福#祭神論争をよく読んでみると*2明治維新後に国家神道の教義を確立するにあたり、千家は出雲派の中心人物として、否定はせぬまでも天皇万世一系性を絶対視しない立場だったのですね。『一月一日』作詞者の来歴を踏まえて《終り無き世を象徴するのが万世一系天皇である》という平川氏の記述は、いったいどこから出てきたものなのでしょうか。
 全部の疑問点でこんなことをやっているときりがないのですが、《反天皇の日本のミッション左翼の神道観の請け売り》という迷文はメモしておきましょうか。この平川「正論」が、一部は正しくて大半はおかしいというのは、伝統神道に基づいて新年を迎える日本人(大和民族)の心情を述べた部分は正しいのに*3伝統神道国家神道の違いを無視して、伝統神道でこうなのだから国家神道も自動的に受け入れてこうなっているはずだ、と論を進めているあたりだとまとめることができます。上記の「終わりなき世の」についての記述が、まさにそうしたすり替えの典型的です。意図せずやっているならやはり酩酊状態としか思えませんし、意図的にやっているとしたらあまりにも稚拙です。
 そしてこの文章のオチは《〔現内閣は〕朝日を拝まず朝日新聞を拝んでいる。だからこそ失政が続くのである》で、本人はうまいこと言ったつもりなんでしょうねえ。素直な心で地元の神様への参詣をせずに産経新聞ばかり読んでいる輩にも、なんか言ってやってください。

*1:直感というかぱっと思いついたことを書いたつもりですが、祭神論争については以前調べたことがあったはずなので、脳裏に引っかかっていたのかもしれません。

*2:どうでもいいけど、これは独立した記事にした方がいいんじゃないですかね。

*3:しかしこれも、キリスト教徒がクリスマスを迎える気持ちや華人春節を迎える気持ちと違いがあるとは思えません。新暦で新年を祝う日本人の方がおかしいという気もときどきします。