黙然日記(廃墟)

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産経抄、極限に対応する。

産経抄】12月5日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/470942/
実際は至って「地味」な発表で、生物にとって必要なリンの代わりにヒ素を食べるバクテリアが発見されたというものだった。

 ……あのー。「生命」の定義が根本から変わってしまったのですが。《「地味」》に鍵括弧を付けているので、そのあとで「一見地味だが実は大発見なのだ」という解説が続くのかとかすかに期待したのですが、そんなこともありませんでした。だいたい、この発見についての報道は(これは産経に限らず各社ともですが)、「ヒ素を食べる生物が見つかった」という表現が多く、硫黄を食べたり鉄を食べたりする細菌はいくらでもいますから、わたしは最初、その重大さに気づきませんでした。珪素生物の発見に匹敵する大発見にして一大パラダイム転換である、といえば少しは通じるかもしれませんが、もちろん抄子にはこれでも理解できないのでしょうね。*1
 この発見ではもうひとつ、「遺伝子」と「DNA」の概念も揺らいでいます。リン酸ではなくヒ素酸を使った化合物なら、いくら核酸に似ていてもそれは核酸とは別の物質であり、DNA(デオキシリボ核酸)とも本来は呼べません(なぜか報道ではすべて「DNAのリンをヒ素に置き換え」となっていますが)。リン酸塩によって組み立てられたDNA/RNA以外の遺伝子が見つかったというのも、大ニュースです。さて、「遺伝子」とは「世代を超えて性質を伝えるもの」という意味で、抽象的概念です。したがって、「文化的遺伝子」という言い方は成立します(誤解を招くのであまり使わない方がいいと思いますが)。そして、今まで知られてきた一般的な生物においては、遺伝子に相当する化学的物質がDNAであることが1952年に証明されました。その「DNA」という言葉を「遺伝子」と同一に考えても、たいていの場合は間違いではありません。しかし、たとえば文化における「酒」と物質の「エチルアルコール」が別物であるように、「遺伝子」と「DNA」の区別は厳然として存在します。そしてなぜか一部では、おそらく「横文字やアルファベットにするとカッコいい」ぐらいの理由で、「文化的遺伝子」という言い方を「文化的DNA」と言って平然としている向きが存在します。文化と物質を区別するのは科学的思考の初歩ですが、こうした「DNA」の誤用が産経周辺に多いと感じるのは、わたしの気のせいでしょうかね。
 ともあれ、「すべての遺伝子がDNAではない」という発見は、こうした誤用を繰り返す人々に、少しでも科学的思考の初歩を植え付けることができるでしょうか。もっとも、そもそももうだいぶ昔から、DNAではなくRNAを遺伝子とするウィルスも見つかっているのに現状の有様なので、もう手遅れかもしれませんがねえ。あと、これは「産経抄」とは関係ないのですが個人的には、今回発見された生物でATP(アデノシン三リン酸)がどうなっているのかも気になります。ATP/ADPの重要性は一般にあまり注目されていませんが、すべてのエネルギー代謝が一つの物質を経由する仕組みは、DNA/RNAによる遺伝システムやセントラルドグマに匹敵する生命の驚異だと感じています。
 遺伝子の話が長くなってしまいましたが、もちろんこんな話は抄子には理解できずNASAの事前発表が宇宙人を思わせるものだったのはジョークだろうと解釈し(宇宙生物学上においても特大レベルの発見なんですが)、宇宙人じゃねえじゃん、などと文句を垂れたあげく、「宇宙人」つながりで鳩山由紀夫前首相へのいちゃもんにまで話を落としていきます。この驚くべきスケールの切り替えの方が、よほどジョークじみています。いちゃもんついでに、政権全体に《「反省」や「謙虚」など地球語が通じない》と書いて、うまいことを言ったつもりらしいですが、科学という言葉が通じない人の方が、よほど断絶しているように感じます。
 まあこれは、重大ニュースらしいのに自分に理解できる材料がなければ、理解できる材料でなんとか組み立ててしまうという、生命が生き残るための驚異的な能力を、抄子もまた示してくれたということでしょうか。

ヒ素を食べるバクテリア」発見 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/science/470215/

 なお、3日付のこの記事は、見出しが「食べる」になっている点は気になりますが、内容としては問題なさそうです。NASAの発表だからと変に騒ぐこともなく、発見の経緯や意味づけについて適切な解説を加えた、第一報として十分優れたものでした。抄子もこの記事を目にしているはずなのですが、なぜ……いや言いますまい。

*1:ただこの生物は、おそらくリンを利用する普通の生命だったものが、極限状況においてヒ素で代替するようになったと考えられます。つまり、最初からリンに乏しい環境でヒ素生命が誕生するか、また炭素と珪素でも同じことが言えますが、このあたりはまだ議論の余地があります。