産経抄、ポチを否定する。
【産経抄】10月2日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/101002/chn1010020437000-n1.htm
《「〔井戸を使うときは〕井戸を掘った人を忘れない」》という格言は、田中角栄元首相を《好んで引用されていたように思う》ではなく、ほとんど彼にしか使わない表現ではないでしょうか。
抄子はこの格言を《裏返してみれば》として、擦り寄ってくる者に目をかける、と解釈していますが、いったいどういうひねくれた頭で解釈すればそうなるのでしょう。普通に裏を取るなら、あちらが井戸を掘った人を(他の功罪はともかくその点に関しては)忘れないならば、こちらも相手の恩義を忘れない、という姿勢を意味するのではないですか。井戸をあちら側から掘った人をこちらが忘れるというのは、日中に、あるいは全世界に共通する伝統的倫理観からしても、これはたいへんな恥辱、国辱であります。
周恩来元首相詩碑にペンキ 京都・嵐山 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/446310/
田中や周個人の恩義を忘れないことと、だから相手国の言い分を唯々諾々と受け入れる、というのは、これもまたぜんぜん違った話です。「井戸の水を飲むかどうか」であって、「そのときに井戸を掘った人を思い出すかどうか」という、格言の意味とはまるでことなったところにいちゃもんをつけているのですが、自分がなにを言っているのか理解しているのでしょうか。
最終段落はおそろしく文章が乱れていて、まるで締切に間に合わずあわてて文字数だけ合わせたような印象を受けるのですが、たぶん気のせいですよね。それよりなにより、《今の中国はこちらが尾っぽを振って行っても利用されるだけだ》とかあめぽちの産経が言うなあっ!