黙然日記(廃墟)

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産経「主張」と経済史2500年の概略。

【主張】税制抜本改革 消費税の工程表をつくれ - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/162974/

 財政健全化のためにはもはや消費税を上げる以外に方法はなにもない、だから早く具体案を作れ、という主張です。一見もっともらしいのですが、ワーキングプア(まともに働いているのに人並みの生活を支える収入が得られない状態、母子家庭などに多く見られる)や年金生活者の支出をさらに5%以上増やして、それに見合うだけの収入を増やすわけではない政策しか、本当に残っていないのでしょうか。たしか世の中には、法人税とか高額所得者への所得税とかいう制度が、まだあったと記憶しています。そのあたりへの見直しについては、この「主張」を含めて、産経の紙面で言及されているのをいっさい見かけないのですが、どうしてなのでしょうか。いや、すぐに見直して徹底的に所得税を上げるべきだとか、完全な結果の平等が必要だとかをここで言いたいわけではないのです。その見直しに言及すらされないというのは、どういう理由からなのでしょうか、というだけの疑問です。

【正論】丸尾直美 新「前川リポート」を読んで - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/162975/

 ほんとに“正論"だったので驚きました。途中までは、出生率はもう底を打っただろうから過剰な少子高齢化対策は必要ない、とか言っているので、大丈夫かなと思ったのですが(この点については、あるていど悲観的な見通しを立てておくことも必要だろうと思います)、結論として、輸出を増やし企業利潤を増やすことだけが日本経済回復への道ではない、賃金と社会保障を増やして内需拡大を図ることも方策の一つだ、と論じています。
 この「主張」と「正論」を読み比べてみると、いろいろな考えが浮かんできます。実はこの丸尾「正論」も法人税などについては言及していないのですが、それに近い考え方だと見ていいと思います。要するに企業と高所得層だけが儲かりすぎだからなんとかしようということです。産経新聞が資本主義を擁護するのはいいし、わたしも大枠で資本主義を否定するわけではないのですが、その欠陥に目をつぶっていい、という理由はないはずです。


 儒教的な考え方では、士農工商ということが言われます*1。農工商の順位が第一次〜第三次産業と配列されているところが興味深いのですが、実際に「もの」を作り出すことを尊び、付加価値を生み出す行為を否定する考え方です。儒教が生まれたのは約2500年前で、貨幣経済が誕生したばかりの時代だということを思い出してください。「商」という漢字は本来地名であり、そこに住んでいた特定の民族、ひいては国家・王朝を指す固有名詞でした。それが現在のような意味になった経緯も調べてみると面白いのですが、とにかくそこには、近代資本主義の発想はなかったということです(こう書いてしまうと当たり前すぎますが)。
 ユダヤ教は同胞から利息を取ることを禁じ、イスラーム教では利息自体を禁じています。いずれも『旧約聖書』に基づいた考え方ですが、『旧約』も儒教と同じく、貨幣経済が発達していない時代に生まれた教えであることに注意してください。預言者となるまでのムハンマドは成功した商人であり、彼の一族を含めた商人たちの間で初期イスラームは成立しました。そのため、利潤の考え方は否定されませんが、なぜか利息の禁止だけは古い観念を受け継ぎました。経済活動と利息の概念を別物としているのですが、それでも思想的には矛盾していないのです。経済活動と利息がイコールではないことが、この例でわかると思います。両教と同じく『旧約』に基づくキリスト教も、中世までは同胞からの利息を禁じており、そこで“異教徒"であるユダヤ教徒が金融業者として活動することになったわけですが、近世以後は利息がおおっぴらに認められ、投資した資本をもとに利息のかたちで利益を得ること、すなわち資本主義経済が生まれました。
 ある業務を企てる(企業)とき、たとえば船を仕立ててインドから胡椒を買い付けるときには、船を造り船員を雇う資本が必要となります。無事に胡椒を積んで船が帰ってくれば莫大な売上を得られるわけですが、その売上から資本を差し引いた利潤は、資本を出した者に配分されます。ここには、船員たちはすでに妥当な賃金を与えられている、という前提があります。船は沈むこともあり、その場合は投下した資本が無に帰しますから、そのリスクに見合うだけの利潤を得ることは許される、という考え方です。ここに利息の許容が組み合わさると、資本そのものが利潤を生み出す、言い換えると、大金がまたお金を生み出すというような考え方になっていきます。資本主義とは利息主義でもあるわけですが、上述のように、利息の発生は経済活動の本質ではありません。
 ここで船員の賃金は、必要なコストという枠に収められています。企業が予想外の利益を生み出しても、原則としてそれはすべて資本家の所得になり、船員にはせいぜいボーナス*2しか与えられません。それを言い出したら、船大工や木材業者にも利潤を配分しろ、ということになって、きりがなくなるからかもしれません。また、「船を出す」という判断をした者が偉いのであって、命じられたとおりに働く船員は利潤の発生に関わっていない、ということなのかもしれません。しかしこうして生まれた資本主義の発想には、「賃金を得た船員たちが胡椒を買うから売上を得られる」という視点が、すっぽり抜け落ちています。


 なんでこんな中学生向けの解説書みたいなことを急に書き始めたかというと、「書きたくなったから」としか言いようがないのですが*3、まあだいたいそういうことです。西洋資本主義の歴史も500年ぐらいになり、理論的には非常に精密化されていますが*4、その精緻な理論にとっくに取り入れられているはずの「消費者が消費するから経済が成立する」という視点を忘れた、非常に原始的な資本主義が、産経の紙面ではまかり通っているわけです。*5

*1:考え方の話で、近世の日本にこのような身分制度があったわけではないし、当時の現実の価値観とも結びついていないのですが。

*2:現在の給与体系に組み込まれた賞与ではなく、金一封ていどのものだったでしょう。

*3:朝、目が覚めて布団から出るまでの間に、たしか「商」の起源あたりからぼんやり考えていた内容なのですが、「主張」「正論」を読んだらちょうど当てはまるようなものだったので、つい書いてしまいました。微妙に現実逃避も混じっていたりしますが。

*4:ノーベル経済学賞は、数学者に多く与えられています。ノーベル賞に数学部門がないためと、最先端の数学理論がすぐ資本主義経済に応用されるため、こうした形で数学を評価しているようです。

*5:某所で「pr3は森羅万象を産経批判に結びつける」とか言われていたので、せっかくですから思いっきり飛躍してみました。