黙然日記(廃墟)

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異常な世界観と「壊れた心」。

【コラム・断】光市母子殺害とBPO - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/dan/147696
「死は復活の儀式」とする弁護団の主張をどう公平に扱えばよかったというのか。

 青沼陽一郎氏の「断」は昨日の紙面に掲載されたものなのですが、なぜかiza!では今朝になって配信されてきました。かなりおかしな世界観に基づいた文章で、いろいろツッコミを受けていますが、コラムそのものはここでは問題にしません。
 引用した被告側の主張は異常なものですが、「異常な世界認識をしているという事実」は伝えられると思います。世界の見え方には極端な個人差があり、ある人にとっては赤と緑が同じ色であり、ある人にとっては地平線近くのライオンが見えて当たり前のものです。これは器質的な差異の例ですが、心理的にも同じことです。ある人にとっての「セックスは生命の再生を意味する」という世界観や、「セックスは二次元としか結びつかない」という世界観は、そうでない人にとっては理解不能で異常なものでしょうが、本人にとって、世界がそういうものであるのは、これはどうしようもないものだったりするのです。あるいは、「誰かが電波で俺の悪口を言っている」という世界観の持ち主もいて、その多くは薬を飲むことで(あるいは特定の薬物を止めさせることで)治療できる脳の器質的障碍であり、また裁判でも異常だと認められ無罪判決になったりするわけですが、現代医学で病的と判断されるか否かにかかわらず、本人の主観としては同じものなのではないでしょうか。病的な世界認識とそうでないものの境界線は引けず、「○○さんが俺の悪口を言っているけど気にしない」という世界観の持ち主は、そのまま社会生活を送れるなら正常として扱われます。
 「『ドラえもん』のしずかちゃんは可愛い」というのは、おそらく正常な認識として扱われます。「可愛くて人気者」をアイデンティティのひとつにして設定されたキャラクターですから。そのしずかちゃんの全裸シーンを見て、(同世代の人間が)性的感情を抱くのも、おそらく作者の意図通りであって、正常でしょう。では、子供のころにそういう感情を抱いた人間が、成人してからも同じようにマンガのキャラクターに興奮し続けるのはどうでしょうか。社会常識としては異常と扱われるでしょうが、ここでは関係ないものとします。その個人が、そういう世界観を持ってしまっているのですから、これはもうどうしようもない面があるわけです(いろんな意味で)。
 ここまで、社会常識から見た正常・異常と、個人の世界認識の差異を、別に扱ってきました。ただ、「異常であっても認められるべき個性」に、なにか適切な概念を与えておきたいところです。言葉の意味はともかく、ここでは仮に記号として「心が壊れている」と表現しておきます。この表現をわたしが認めるというわけではなく、この先の話題に結びつけるための、あくまでも記号です。
 というあたりで、一昨日のエントリ*1の話題につながるわけです。円より子議員の出した請願*2には「エロゲをやると心が壊れる」という決めつけがあります。そうではないのです。彼らは原因と結果を逆に認識しているのであって、「心が壊れているからエロゲを求める」のです。エロゲ(二次元性表現)はそういうものであって、言い方を変えれば、性的マイノリティが性的アイデンティティを確立するために必要な表現であり、外部からクレームをつけられるいわれはないものなのです。
 もちろん、他人に迷惑をかけたらダメですよ。実在の人物を対象にするとか、小学校の通学路に堂々とポスターを張り出すとか。しかしそうした規範を踏まえた上で、個人が頭の中でなにを考えても自由じゃないか、閉じた輪の内部で共有してもいいではないか*3。そういうことを、もっと堂々と主張する必要があります。

*1: http://d.hatena.ne.jp/pr3/20080523/1211554662

*2:コメント欄なまえさん経由で教えていただいた情報ですが、「反ヲタク国会議員リスト」メモ http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20080520#p2 によると、円議員の出した請願は3年前に野田聖子議員が出した請願やジュベネイル・ガイドの文書とそっくりなようです。

*3:自分一人で下手なエロ絵を描いていても満足できませんが、共有することで質が向上し満足感が増すことで、「壊れた心」が外部に向けられるのを押さえることができます。