黙然日記(廃墟)

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古森義久氏とナショナリズム。

日本のナショナリズムとは――なぜ「アメリカのナショナリズム」とはいわないのか:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/417772/
日本のナショナリズム再考――なぜ日本だけでは国旗、国歌、そして愛国心が「危険」なのか:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/421762/

 古森氏にとってはホームであるジョージタウン大学で、日米の愛国心についていろいろしゃべったことを、前後編のエントリにしたもの。後編では、古森氏が9月にたまたま観た映画I am 日本人』をまた題材に取り上げています*1
 「ナショナリズム(nationalism)」や「愛国心(patriotism)」という言葉にはポジティブ・ネガティブ両方の意味があるのに、日本ではネガティブな意味しか使われない、という指摘をしているのですが、米国でも同じである――日本のネガティブなナショナリズムは危険だと認識されていることも指摘しながら、そこはスルーしてポジティブなナショナリズムを確立すべきだと論じています。
 かつて、日本のネガティブなナショナリズムが米国や各国に多大な被害を及ぼし、のみならず日本人自身が痛い目を見たのですから、警戒される・警戒するのはしかたないところでしょう。「それが行きすぎてポジティブなナショナリズムまで否定されている」という主張であるにしても、ネガティブの象徴だった国旗・国歌をそのまま(強制的に)使うのは、やはり危険と思われてもしかたがないところです。さらに私見なのですが、そもそも日本にはポジティブなnationalismの称揚さえ必要ないのでは、とも思います。移民国家と違い、特に象徴を必要としなくてもnation(国家または民族)としての統一感はあるのですから。もちろん少数民族の存在も含めて、「だいたいこれが日本」という概念は確立しているわけですよね。
 このへんはたいへんややこしい議論になるので少し話を戻すと、「ポジティブなナショナリズム」を訴える古森氏自身の主張が、ネガティブなナショナリズムにしか見えないというのが、日本のナショナリズム全体が警戒されてしまう結果を招いているんじゃないでしょうかね。古森氏の思想がネトウヨなみにネガティブ性を持っているとは言いませんが、欧米特に米国だけを絶対の基準にナショナリズムを考える姿勢そのものが、日本の健全なナショナリズムを奪っているようにも思います。