黙然日記(廃墟)

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古森義久氏、ジェームズ・アワー氏を語る。

守屋武昌前防衛次官氏が名をあげたジェームズ・アワー氏とは何者か-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/404599

 守屋前次官証言に関連して注目されている、ジェームズ・アワー氏について、親交のある古森氏が語った貴重なエントリです。最初は取材対象だったアワー氏と古森記者がどういう経緯で親交を結ぶようになったのか、古森ウォッチャーとしてはたいへん興味深い記事なのですが、現在の“疑惑”を追求するような内容ではありません。
 エントリ後半は、「SAPIO」最新号でのアワー・古森対談を一部引用したものです。これがなかなかひどい。

ジェームズ・アワー インド洋からの自衛隊撤退にしても、日本の政府が自ら撤退を決めたわけではない。政府は継続を強く望んでいるのに、野党の民主党が反対したからです。

 そりゃ、根本的には民主党の反対があるからですが、テロ特措法の延長をする機会はありました。7月29日の参院選で与党が過半数を失い、特措法の議決に参議院が反対するだろうという見通しが立った時点から、11月1日の期限切れまでの間、60日間条項を考えに入れても、8月末までに与党が強行採決する余地はありました。それをやらずに9月前半まで無為に過ごし、むざむざ時間切れを迎えてから政権を投げ出したというのは、安倍政権がテロ特措法をその程度にしか考えていなかった、ということでもあります。以前も別の点から指摘しましたが*1、日本の国会についてこれだけ無知な人が日米問題の専門家で通っていることに、たいへんな疑問を覚えます。
 また、この対談で古森氏は、米下院の従軍慰安婦問題非難決議が日本側の「日米同盟を支える努力」を削いだのでは、ということにこだわっているのですが、古森氏の考える「日米同盟」がどういう勢力に支えられているのか、よくわかる話です。端的に言って、「従軍慰安婦問題は(たぶん南京大虐殺も)まぼろし」派ということなのでしょうね。普通に、軍事面を含めた日米協力に賛成している人は、福田首相を含めてたくさんいるはずなのですが。

写真について。

 さて。古森blogで紹介されているアワー氏の写真について、ちょっと粘着してみます。
 まずこの写真、ヴァンダービルト大学日米公共政策研究協力センターのサイトにあるアワー所長のプロフィール( http://www.vanderbilt.edu/VIPPS/VIPPSUSJ/auer.html )にある写真を直リンクしてますね。……まあ細かいツッコミは省略して、この写真をよく見てみましょう。

http://www.vanderbilt.edu/VIPPS/VIPPSUSJ/images/auer_pic.jpg
(魚拓) http://s03.megalodon.jp/2007-1127-1842-23/www.vanderbilt.edu/VIPPS/VIPPSUSJ/images/auer_pic.jpg

 背景に安倍晋三氏のポスターびっしりって、いったいどこで撮影したんでしょうか。写真のExif情報を見てみると、撮影日時は2006/04/26 (水) 14:53:11、彼が首相になる前ですから、安倍事務所のたぐいか、少なくとも自民党に関係した場所だと思われます。昨年4月にアワー氏は来日していたということでしょうか。


 ところで、ちょっと話が変わります。現在国会では、2006年12月4日に「アワー氏を囲む会」のようなものが開かれ、そこに額賀福志郎氏が出席していたかどうかで激しくやり合っています。その根拠になるのが守屋前次官の国会証言ですが、この証言では日時を特定せず、「一昨年ごろ」としか言っていません。そこで民主党の古本伸一郎代議士が防衛省に問い合わせた結果として、アワー氏が防衛庁防衛省)を正式に訪れたのは何年何月何日と何日、そのうち可能性のあるのが2006年12月6日前後だ、ということで、その来日時の事実関係を追求しているわけです。*2
 ところが、この防衛省の回答では、2006年6月以後の日時しか出てきていません。そもそも守屋証言では「一昨年(2005年)」だったのに、なぜこういう回答なのか。それ以前の(しばらくの)時期には、アワー氏は来日していない、少なくとも防衛省を訪れてはいない、ということでしょうか。しかしこの写真を見ると、2006年4月に来日していた可能性が高いんですよねえ。12月4日のことについてだけいくら調べても、実はピントはずれなんじゃないでしょうか。
 ただ、撮影者のDaniel Dubois氏のことを調べてみると、ヴァンダービルト大学関連の写真を大量に発表しているので、関係者か大学が委託した写真家か、そんな人だと思われます。そういう人がわざわざ教授の来日につきあうかなあ、という疑問もちょっとあります。しかしもし米国で撮影したものだとすると、首相になる前の安倍壺三のポスターを大量に貼ってあった場所ってどこ? ということになります。公式プロフィールに載せる写真ですからアワー研究室で撮影したことも十分に考えられるのですが、だとしたらいったいどういう研究室なのでしょうか。

*1: http://d.hatena.ne.jp/pr3/20070331/1175311342

*2: 国会議事録 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/168/0095/main.html 。この一覧より、検索システム http://kokkai.ndl.go.jp/KENSAKU/swk_startup.html を使って「第168国会・平成19年11月21日・財務金融委員会・発言者古本伸一郎」で発言番号95を見た方が早いと思いますが。