黙然日記(廃墟)

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古森義久氏、謝罪について考える。

国家が謝るとき、首相が謝るとき、-ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/162663

 古森blogの新着記事です。日経BPのサイトで連載しているコラムの紹介です。いつも雑誌掲載記事を紹介しているのと同じように冒頭部のコピペがあるんですが、Webの使い方をそろそろ覚えてくれませんかね。アドレスを貼っているだけましか。

国家安全保障を考える(第47回)[古森 義久氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP
第47回 国が謝るとき
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/47/05.html

 真ん中あたりまでは、ハーバード大学のマーサ・ミノー教授による「主権国家が謝罪するということはかつてはなかったが、1980年代以後はいくつも例がある、これは民主主義が進化したからだ」という分析を紹介しています。なるほどと思っていると後半ではいきなり謝罪否定論を紹介しはじめて、前半との繋がりがまったくわかりません。「日本は何度も謝罪しているのに受け入れられない、これは相手が悪いからだ」という、ある意味言っちゃいけないことまで言ってますが、中途半端な謝罪を小出しにするから受け入れられないんで、最初にどーんと踏み込んだ謝り方をしておけば、そのあとは向こうだって何も言えなくなるわけですよ。
 今回の訪米で、安倍首相の発言が英文では「謝罪する」になっていたことを、blogの方で古森氏は不満げに述べています。しかしここまで煮詰まってしまった問題の対処としてはもうあれしかないわけだし、そこまで追いつめられたのは安倍自身の、あるいは日本の保守派自身の責任です。こっちとしては「馬鹿が墓穴掘ったんだなあ」としか思えないところですが。それから、安倍が一つの談話について、英語では「謝罪する」、日本語では「申し訳ない」と二枚舌を使ったことは、また別の問題です。