黙然日記(廃墟)

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古森義久氏と朝日新聞と愛国心。

asahi.com愛国心「ある」が78% 本社世論調査
http://www.asahi.com/national/update/0125/TKY200701240366.html
 国民の8割が自分に愛国心が「ある」と思い、そのうち9割は先の戦争で日本がアジア諸国におこなった侵略や植民地支配を「反省する必要がある」と考えていることが、朝日新聞社世論調査(面接)で分かった。

 25日に出たこの記事を話題にしようか、少し迷ってやめたんですが、せっかくなのでここで。
 まあ、普通の結果かな、と。愛国心国粋主義超国家主義)は言うまでもなく違うもので、悪いところは反省しながらそれでもやはり自国を愛している、愛しているからこそ過ちを繰り返したくない、というのが、一般的な愛国心の持ち方だろうと思います。普通すぎて取り上げる気にならなかったのでした。
 というところで、古森義久氏のblogにこんなエントリが出ています。

愛国心−ー朝日新聞の奇妙な配列
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/108407

 ダッシュと音引きの区別ぐらいつけてほしいものですが、それはともかく。
 「愛国心」と「過去への反省」に関するわたしの見解は上に述べたとおりです。しかし、“古森氏の考える「愛国心」”を基準にすると、この結果が奇妙だと思えるのかもしれません。この調査で、朝日による質問項目の設定などが誘導的だ、という指摘は、一見もっともらしいのですが(ある種の誘導があることはわたしも否定しません)、調査対象の多くの人々は、そんな矛盾に気づかないほど馬鹿ではないだろうとも思います。
 また、後半部分「過去への反省」に関する指摘は、“過去の日本が「侵略や植民地支配」をまったくしていない”という前提がないと成り立たないのですが、そうなんでしょうか? すべてが侵略行為だったわけではない、という考察も必要ですが、それによって、侵略行為はすべてなかった、という結論を導くことはできません。
 最後の部分もシャドーボクシングですねえ。朝日新聞にも自縄自縛に陥っている面があるのですが、それ以上に古森氏が、朝日憎しのあまり冷静な視座を失っていることを、残念に思います。


 「愛国心」という言葉が、どうやら二通りの意味で使われているようです。「自分の故郷を好きだと思う心」と、「国家に忠誠を誓う心」と。現在、ほとんどの人々は前者の意味で、古森氏や保守論壇や「古森氏の考える朝日」や、いわゆる論壇に属する多くの論者は後者の意味で、解釈しているように思えます。前者が多数派というのはわたしが勝手に思っているだけかな、と少し不安だったのですが、この調査結果を見るかぎりではたしかに多数派のようで、ちょっと安心しています。前者の意味で考える人にとって「愛国心」が肯定的な概念なのは当たり前ですが、後者の意味の「愛国心」を肯定する人々が、特に政治の中枢にいる人々や政治を論ずる人々が、この区別を理解していないとすると、これはかなり憂うべき事態ではないかと思います。前者を肯定するのは当たり前、だから後者も肯定されるべき、という論理のすり替えもよく見かけるのですが、ああいうのは自覚的にやっているのかなあ。