黙然日記(廃墟)

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空襲と空爆。

 http://d.hatena.ne.jp/pr3/20060616/1150455641の註釈部分の続きみたいな。はてなキーワードの説明をおおざっぱに要約すると、「空襲」はやられる側、「空爆」はやる側の視点だそうです。以下、日本における記事を前提とします。
 太平洋戦争については「東京が空襲された」と表現するのがどう考えても当たり前なわけでそれはいいのですが、イラクコソボやその他を含め現代の例について、メディアや我々も含めて「空爆」と表現してしまうのが一般的なのはどうなのかな。「NATOによる空爆」といえばそうなのですが、「イラクが空襲された」という表現もできるはずなのに、なぜそれを見かけないのか。
 ある世代までの日本人(直接空襲を知っている世代はもちろん、「かわいそうなぞう」をリアルに受け止めて泣いた体験のある世代まで)にとって「空襲」という言葉は、親しい人、繋がっている人が理不尽に死ななければならなかった、理不尽な死の恐怖を味わわされたという意味において、たとえば「原爆」とか「震災」という言葉と同じような重みを持っていると思います。イラク等で起きていることは(たとえ精密爆撃だろうが)本質的にはそれと同じなわけで、それを爆弾を落とす側の発表通りに「空爆」と表現してしまっていいのでしょうか。
 たとえば、ここ数日またどっかの大馬鹿野郎がテポドンを使って恐喝外交を始めようとしていますが、これが万が一実行されて日本に落ちた場合はもちろん、韓国や中国へ落ちた場合も、「空襲」に当たる被害側の視点で伝えることに異議のある人はいないと思います。では、アメリカが絡んだときだけ、攻撃側の視点で伝えることをおかしいと思わないのは、なぜなのでしょうか。