黙然日記(廃墟)

はてなダイアリー・黙然日記のミラーです。更新はありません。

産経の慰霊観。他。

 またさぼってしまった10日分です。

「安心して暮らせる首都東京を創造」 石原知事が決意 大空襲慰霊法要 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120310/trd12031014380004-n1.htm

 関東大震災および東京大空襲で亡くなられた方々に、あらためて追悼の意を表させていただきます。合掌
 この記事がおかしいと思うのは、石原慎太郎都知事が主役になっている点です。もちろん、東京都が主催する法要ですから都知事挨拶が記事本文のメインになるのはわかりますが、見出しの主語まで都知事にすることはありません。各紙とも法要が営まれた旨を見出しにしていますし、朝日の記事*1秋篠宮ご夫妻がご参列されたことを見出しに掲げています。id:sankeiaidokusyaさんではありませんが、朝日と産経の見出しが逆なんじゃないですか。まあ、産経の秋篠宮家軽視は今に始まったことではありませんが。産経記事は、この法要が関東大震災被害者法要も兼ねていることにも触れていません。
 ここまで石原氏に媚びる産経の姿勢は、異様にすら見えます。

【解答乱麻】参院議員・山谷えり子 奪われてなお生きる国民の情操+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120310/trd12031007440000-n1.htm

 東日本大震災後の絆から「日本古来の」絆がどうたら、占領政策でそれが奪われうんたら。柳田国男が書き残したのは、江戸時代以前数千年にわたる日本人の先祖観や自然観であって、明治以後に作られ戦後否定された国粋教育ではありません。柳田自身も1875年生まれで、1890年の教育勅語以前の教育を受けた世代です。
 『古事記』を読めば《日本の建国の精神は平和と徳の心であり、国の成り立ちは敬い合う姿にあった》ことがわかるというのもわけのわからない言い草です。わたしが『古事記』から読みとれたのは、豊かな神話と高い文明を持ちながら大和朝廷に踏みつけにされた出雲、あるいは熊襲蝦夷の呪詛の念でした。それが言い過ぎにしても、《世界最古の美しい統一国家》などという言葉がでてきるようなものではありません。

【主張】原発事故1年 世界の潮流を見失うな 根拠薄い「危険神話」に決別を - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120310/dst12031003250002-n1.htm

 事故1年ということで、これまでに並べ立てた屁理屈を総動員した、集大成のような文章になっています。
 「原発再開」になるとなぜ産経はここまで目の色を変え、カルト的とすら思える姿勢をみせるのでしょうか。もはや、東電の広告目当てとかそんなレベルでは説明できません。最初はそんな動機だったとしたも、もはや信念のようなものになってしまい、また世間の風潮が「原発完全停止は当然」というものになってしまったことで、意地を張っている面もあるのではないでしょうか。こういう態度は、決して得なものとは思えないのですがね。

産経と3・11の個人崇拝。他。

 1年目の3月11日を迎えてあらためて、東日本大震災でなくなられた多くの方々に心から哀悼の念を捧げます。合掌。遺された皆様の安寧を祈ります。また、行方不明の方の安否が明らかになること、そして今なお避難生活を送っていらっしゃる皆様の平穏が取り戻されることが、一日でも早くなることを願います。

【主張】「3・11」 鎮魂と備え忘れぬために 災害克服の長い歴史学ぼう+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120311/dst12031103150001-n1.htm

【3・11から1年】東京でも追悼式典 石原知事「祈るだけなら誰でもできる」 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120311/dst12031118490036-n1.htm

 防災無線の呼びかけを続けながら津波で亡くなられた町役場職員の方への哀悼の念も、もちろん変わりません。が、彼女に対する産経や周辺の持ち上げ方には疑問符を挟みたいところです。英雄的個人を作り上げることが、「主張」の訴える構成への教訓になるのでしょうか。
 また下の記事の、石原慎太郎都知事への個人崇拝も鼻につきます。東京都内でも震災で亡くなられた方がいらっしゃり、また被害も生じているのに、知事が政府主催追悼式ではなく民間主催の式典に出席していたというのも疑問なのですが。

産経新聞記者を逮捕、路上トラブルでナイフ出す : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120311-OYT1T00238.htm?from=rss&ref=rssad

 産経新聞関係者をプライベートなことでウォッチするつもりはありません。ただ、一人のナイフ愛好家として、この事件は許せません。かつて、愛好家にとって、ツールナイフ(十徳ナイフのたぐい)を持ち歩くことは、一種の身だしなみでした。ナイフ(刃物)は人を傷つけるためではなく、日常の用を足し生存するためにこそあるのだと考えるからです。今はそれも難しいご時世になりましたが。世間の誤解を避けるためにも、愛好家には自重が求められます。
 この人物がどのような理由や心づもりでナイフを持ち歩いていたのか知りませんが、喧嘩の際に持ち出すというのはいずれにしろ最悪です。武道が心身修練のためにあり喧嘩の道具ではないのと同じ理由で、この人物はナイフの存在そのものを汚したのです。許すわけにはいきません。