黙然日記(廃墟)

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産経のクールジャパン観。

産経抄】9月3日+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130903/trd13090303210000-n1.htm

【主張】宮崎駿監督の引退 発信力を担う若手よ続け+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130903/ent13090303260001-n1.htm

 宮崎監督の引退表明を聞いて「ええっ、まさか」と思った人は、どのぐらいいるのでしょうか。わたしの周囲では「ええっ、またか」という反応が大半でした。何度も引退表明をし、そのたびになし崩しに復帰しているのは、ファンなら周知のところです。だから、なんで産経がここまで騒いでいるのかわかりません。
 引退撤回の理由のひとつに、後継者に恵まれない点があることもよく知られています。しかし、故近藤喜文監督のご不幸は別にして、押井守監督、細田守監督という個性を見いだしながら、後継者に据えることに失敗したのは、本人の個性に問題があったからではないでしょうか。実際当時のファンからも、「『ナウシカ』のパヤオと『うる星2』のオシイ星人が手を組む? 無理に決まってんじゃん、作家としての個性が全然違うんだし」と言われ、そのとおりになりました。この場合には押井氏の個性にも問題があったわけですが、細田氏との決別には言い訳ができないと思います。押井氏、細田氏のその後の活躍は言うまでもありません。現在、長編アニメーションで客を呼べる監督といえば上記三氏に加えて庵野秀明氏ですが、庵野氏を演出家として育てようという気がなかったのも疑問です*1
 話を戻します。産経抄子は'80年代なかばに宮崎氏をインタビューし、当時の(現在にも通じる)アニメの状況を批判する言葉に驚いたそうですが、ここにも宮崎氏の偏狭な個性が表れています。萌え(だけ)アニメの元祖的存在である『プロジェクトA子』を、ほとんど名指しで非難していたころですね。そうした、表面しか観ないファンに迎合した商業主義が一方にあって、その中から押井氏も細田氏も頭角を現してきたわけです。宮崎氏の目指す崇高な(お高く止まった)作品作りだけでは、日本のアニメーションはこうも隆盛していなかったでしょう。それはアニメーション製作の長い伝統があるヨーロッパ諸国や、見方によってはディズニーの行き詰まりにも現れていることです。一方に「宮崎アニメという目標」があるからレベルが高まってきたということはあるにしても、すそ野があってこその頂上であり、全体の底上げだったのです。最近も麻生太郎氏が「『はだしのゲン』は名作だが成年コミックは規制すべき」とか馬鹿な発言をしていましたが、当時の「週刊少年ジャンプ」に『ハレンチ学園』『トイレット博士』があったからこその『はだしのゲン』だということを理解できない政治家は、さっさと落選させるべきです。
 まあ、底辺があれば必ず全体のレベルが上がるというものでもなさそうですがね。日本のジャーナリズムを見ると。

*1:巨神兵の作画って伝説になっていますが、ほんとにいいか? 緻密なのは認めますが、どこから沸いてくるのかわからないでろでろが気になってしかたありません。