黙然日記(廃墟)

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産経「正論」、知ることが足りず。

【正論】曽野綾子 どこまで恵まれれば気が済む-イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/114334

 文句のつけようがない見事な沖縄取材*1でおなじみのあややこと曾野綾子氏です。一昨日の上坂冬子氏に劣らじと、とばしまくっています*2
 「現代の日本はとてつもなく恵まれているのだから、足ることを知れ、感謝を知れ」という意見は、(本来の意味での)保守派として正当な論説ですし、際限のない欲望を戒めるという意味なら、傾聴すべきところです。「親のしつけが大事だ」というのも、まったくそのとおりです。しかし、「みんな平等だという戦後教育が悪い」となってくると、おや、と思います。教育といえばゆとり教育ですが(やや強引)、「一部のエリート以外は勉強させなくてもいい」としてゆとり教育を提唱した三浦朱門氏は、たしかあややの連れ合いだったなあ、と。あややが感謝している現代日本の豊かさを作ったのは、「みんな平等」な戦後教育による教育水準の高さに大きく由来するもので、三浦・曾野夫妻はそうではない国を作ろうとしていると思っていたので、たいへんびっくりしました。
 そうした大枠の矛盾を別にしても、「ストレスは、自我が未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、深く影響されるところに起きるものと言われる」というあたり、目を疑いました。《ストレス》の生理学的な定義は別にして(「寒い」「痛い」「腹減った」なども《ストレス》です)一般的な用法に限っても、自我があるから(他人や社会との軋轢による)ストレスが生じるので、自我のない人間ならそうしたストレスは感じません。他人をうらやみ嫉妬するのもたしかにストレスでしょうが、普通の人間にとっては嫉妬されるのもストレスだし、あややの言うような意味でストレスを感じない人間がいるとしたら、悟りを得た高僧ぐらいでしょう。もちろんその境地に到るのは理想ではありますが、「ストレス」という表現でそこまで要求できるものなのでしょうか。
 まあなんにせよ、結論そのもの(「足ることを知る」)は正しいとしても、その論拠を重ねる過程がここまで滅茶苦茶な論説というものもあるのだなあと、これはひとつ勉強になりました。と、無理矢理よかった探ししてみる。

*1:もちろん、呆れて文句を言う気にもならないからですが。

*2:取り上げ損ねたのですが、実は昨日の大原康男国学院大学教授の「正論」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/114112/ もなかなかでした。「保守への逆風」という部分は、「ウヨの化けの皮がはがれた」とするべきでしょう。