産経抄の人でなし。
日本現代史における立役者の一人であり、統制国家の現実についての貴重な証人であった宮本顕治氏の死去に、心から哀悼の意を申し述べます。
さて、産経です。
【産経抄】7月19日
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/67546/
日本共産党の暗い歴史を刻んできた元議長、宮本顕治もとうとう98歳で力尽きた。
いきなり呼び捨てで、「やっとくたばったか」と言わんばかりの口調です。数え百歳の大往生で事実上は歴史的人物だったとはいえ、“美しい新聞”として、故人に最低限の敬意ぐらいは払えないのでしょうか。産経新聞が政財界の要請により資本主義擁護のために創刊された、言い換えると共産党を批判するために存在している新聞だという事情は理解しているつもりですが、それにしてもこれはあんまりだ。
【評伝】マニュアル革命家の偽善 宮本顕治元共産党議長、死去
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/67597
こちらはまだしも最低限の礼儀は心得ているようですが、訃報の翌朝に(タイミング的に見て予定稿でしょうけど)こんな「評伝」を出す神経もわかりません。上記の事情を踏まえれば理解できる範囲の記事だとはいえ、共産党憎しのあまり、人間として大切なものを産経新聞は置き忘れてしまっているのではないでしょうか。これでどの口で「慰霊のために靖国参拝を」などと言えるのだか、いっぺん頭かち割って中身を見てみたいぐらいです。
文中の「意見広告の扱いをめぐる言論裁判」*1というのは、サンケイ新聞事件のことでしょう*2。政党と報道機関が争って編集権が優先されるという判決が下ったことそのものは、わたしは評価しているのですが、サンケイ新聞事件の場合は自民党の提灯持ち意見広告がきっかけだったというのが情けない。というのはさておくとしても、反論権を認めないこの判決のことを聞くと、わたしなどは自動的に、昨年8月ワシントン・ポスト紙に掲載されたスティーブン・クレモンス氏による古森義久氏への批判に対して、「反論を載せないのは不公平だ」と紙面を挙げてキャンペーンを張ったどこかの新聞の醜態を思い出します。都合がいいときだけは、サンケイ新聞事件のことを思い出せるんですね。あるいは、勝ち負けにしか興味がないのかもしれません。