黙然日記(廃墟)

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産経抄のゴジラ観。

 5/26分です。というわけで、梅雨時は辛口カレーですね。いつも辛口だけど。

産経抄ゴジラの復活 5月26日(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140526/ent14052603110001-n1.htm

 「どうせ貞子が高速で走ったり下水道に何万個も卵を産み付けたりするんだろうさ。ハリウッド版など……ハリウッド版など!」「あれはゴジラではなく(GODの入らない)ジラという生物です」。たいへん評判の悪かったハリウッド版『GODZILLA』(1998)ですが、『ギガントイグアナ来襲』のタイトルで公開すれば、それなりに評価されたんじゃないですかね。『メガ・パイソンVSギガント・ゲイター』とか『シャーロック・ホームズVSモンスター』の同類として。新作の方はもうちょっとマシらしい、という話は「産経抄」もしています。あと、『七人の侍』と『ゴジラ』が同年公開という話も書いているので、豆知識。両作は同じ撮影所で撮影していて、明暗をくっきりさせたい黒澤明監督とミニチュアの奥行きを撮りたい円谷英二特技監督の間で、照明用電源の奪い合いになっていたそうです。夢のような話ですね。あと、中島春雄氏はお元気で、現在もイベント等で世界中を飛び回っていらっしゃるそうです。
 前置きが長くなりましたが、「産経抄」の話です。朝日新聞の記事に反発し、「なんでも反核、反原発に結びつけず、娯楽映画として楽しむ」という姿勢ももちろん正しいのですが、だからといって初代『ゴジラ』が反核映画でなかったということにはなりません。「痛快な大怪獣映画であること」と「反核の思いを込めること」は、両立します。ゴジラが最大級の恐怖でなければ怪獣映画として成立せず、それは現実における最大の恐怖である核兵器のメタファであったからこそ成立するのだということは、説明するまでもないでしょう。『七人の侍』だって痛快娯楽活劇として撮影されたものなのに、最後に「勝ったのは農民」とか変なまとめを入れるから階級史観的に深読みされるようになりましたが、じゃあ深読みするのが間違いかといえばそんなことはないわけです。テクストの誤読の自由はポストモダン以後保証されており、唯一間違った解釈があるとしたら「俺のこの解釈が絶対だ、それ以外は間違っている」という姿勢こそでしょう。『ゴジラ』を娯楽映画として再評価するのもすでに古くさい手法で、2011年以後の現在という状況において放射能の恐怖を再確認するという読み方が間違っているという姿勢はいただけません。