黙然日記(廃墟)

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産経「主張」の専門術語、自慰史観への視点。

【主張】教科書検定 事後公開が信頼性高める - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/202121/
国民の知らないところで、中国や韓国の意向を受けた外務省サイドが検定に圧力を加えるケースがあった。いわゆる「新編日本史・外圧検定事件」(昭和61年)や元外交官の検定審議会委員による「検定不合格工作事件」(平成12年)である。

 あいかわらず予想が外れます。このニュースを「主張」が取り上げること自体は予想どおりでしたが、いちいちぶっ飛びすぎていてこの点は予想をはるかに上回っている、というか想像を絶するレベルでした。
 引用部ですが、「いわゆる」とか言われても、それは産経新聞や“保守”系論壇誌、あるいはつくる会教科書改善の会周辺でしか通用しない、特殊な術語なんじゃないでしょうか。検索してみても、それぞれの「事件」の名称を取り上げているのは20件ちょっとしかありませんし、それ以上に、この「事件」をこの名称で取り上げているサイトの偏りっぷりに笑ってしまいました。
 その他にも、たとえば「学問的には破綻(はたん)した慰安婦“強制連行”説」と書いてありますがいつ破綻したんでしたっけ、とか(少なくとも「狭義」「広義」論争はまだ続いているはずですが)、「南京事件の犠牲者数について、中国当局発表の「30万人」をも上回る「40万人」とする記述」って、40万人説を日本に持ち込んだのは産経新聞じゃないか、とか。
 それでも、審議過程は原則公開すべきものですからその点については賛成できますが、と書こうと思ったら、最後の方でいきなり「審議会の審議そのものを原則公開すべきだという意見もあるが、行き過ぎだろう」とか書いているので、また頭がくらくらしてきました。どうやら、沖縄集団自決事件への検定介入とか、自分たちに都合のいいことは見逃しておき、後になってから批判し安いところだけ批判するためにこういう主張をしているのではないかと思われます。教科書出版社の関連会社がこんなオピニオンを垂れ流すこと自体が、なんとも斜め上ですね。

地下室のブログ: 日本の将校、過去を書き換える
http://chikashitsu.blog.ocn.ne.jp/001/2008/12/post_d67c.html

 The Wall Street Journalに掲載されたWARREN KOZAK氏のessayを*1、Behemothさんが翻訳紹介してくださっています。米国でもっとも保守的な新聞の一つであるWSJ掲載ということで、これは米国が日本の自称“保守”を見る目の典型的な一例ではないかと思います。
 反米サヨクの目から見ると、唯一の被爆国が原爆の被害を強調してなにが悪いのかとか(そもそも日本で反核運動を主導してきたのは、歴史修正主義で主流を占める右派ではなく、それと対立する左派だったわけです)、第二次大戦当時の自国の歴史を正当化する例にロシアやオーストリアを挙げてから、米国内の歴史修正主義の例として“他国の歴史を正当化する”主張ばかりを持ち出すのはあんまりじゃないか、とか、ちょっとこの前後はひどいなとも感じます。しかしこの点、「第二次世界大戦は米国の正義が枢軸側の悪を叩きのめした『良い戦争』だった」という善悪の視点は、米国では(少なくとも保守派メディアでは)“歴史修正主義*2の一種だとすら思われないほど一般化していることも意味するのでしょう。
 それはともかく、米国が「第二次大戦はファシズムを倒す戦争だった」という歴史観に立つのは当然だろうと思います。そこに、現在は同盟国になっているはずの元枢軸国で、軍のトップがファシズム時代を肯定してみせたのですから、これは驚いたことでしょう。隣家に住む人は、元は大泥棒だったけど刑期を終え、今は心を入れ替えて長いこと真面目に働いている、と思っていたところ、帰宅したらその隣人が土足で自分の家に上がり込みタンスを物色しているのを発見した、ぐらいの驚きではないかと思います。少なくともかつての対戦国からは、日本が「更生した元服役囚」ぐらいに思われていることを、もうちょっと意識してもいいのではないでしょうか。(付記:記事の紹介より主観的な記述の部分が長くなってしまったので、タイトルに[opinion]タグをつけておきます。各種の文章をどう分類するかは、たしかに難しいものです)。

【幸満ちゃん事件】事件後、女性につきまとう…直後から「怪しい」 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/202304

 読んでいて、気分が滅入るような記事ですね。偏見丸出しで。小太りで無精ヒゲの男が図書館で新聞読んでると怪しまれるのか。気をつけなくては。他にもたくさん見かけるんですけどね。

*1:どうも、英語の"essay"と日本語の「エッセイ」はニュアンスが違うように思います。"essay"には日本語の、いわゆる「雑誌論文」も含む(しかし学術論文は含まない)のではないか、それに対して「エッセイ」は、文芸作品的なものだけを指すのではないかと感じます。一般誌や新聞に掲載される、やや固い内容の、しかし主観的な文章を「論文」と呼ぶ習慣がおかしいのだろうとも思いますが、「論文」も「エッセイ」も違うなら、どう呼ぶべきなのかはちょっとわかりません。いずれにしろ、田母神氏のessayを「論文」と呼ぶことで、不要な混乱も招いているのではないでしょうか。これは自省を含めて。

*2:ここでは「主流の歴史解釈に勝手な修正を加える」という本来の意味より、「自国の歴史を自省なく正当化する」というニュアンスで“歴史修正主義”という言葉を使っています。