黙然日記(廃墟)

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古森義久氏、日米安保条約を非難する。

日本は中国になぜ「民主主義」を口に出せないのか――日中共同声明に欠けていた価値観 - ステージ風発:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/570695

 9日に続いて10日にも古森blogにエントリが上がっているのですが、またネタの使い回しでした。前日のエントリでも引用している、謎の敏腕記者による日中共同声明の単語分析ネタを繰り返しているだけです。それにツッコミもせず絶賛が続くコメント欄の薄ら寒さといったら。まあ、指摘したコメントは削除されてしまったのかもしれませんが。しかしネタを使い回すにしても、なんで連日なんでしょうね。


 古森氏は人権や自由を強調して、「日本国民が時の首相を非難しても、政権党の政策を批判しても、逮捕されることはない自由だといえます」と述べています。民主主義と(政権批判を含む)表現の自由が表裏一体のものだということを、古森氏が(表面的にせよ)理解しているとは思いませんでした。安倍政権時代に、首相をちょっとでも批判したら「“国益"にならない」といって猛然と非難していたのは、どこの自称ジャーナリストだったでしょうか。もちろん、古森氏に非難されたからといって、たとえばわたしが逮捕されるわけではありませんが、「政権批判を認めない」という姿勢は、民主主義の価値観に基づいた行動だとはとても見えませんでした。


 さて、日中共同声明に価値観が表われていないという点について。古森氏はこのエントリを、「自分たちが信じ、頼る基本的な価値観を一言も表明できない「共同声明」とはなんなのでしょうか」とまとめています。
 それではたとえば、古森氏が金科玉条とする「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 - Wikisource日米安保条約)」を見てみましょう。「民主主義」1回、「自由」2回、「人権」という言葉はまったく出てきません。このうち、少なくとも第二条の「自由」は、当時の共産主義勢力に対する「自由主義体制」の文脈で使われているものです*1。さて、ここで古森氏の論理に従えば、「日米は人権を基本的価値観としていない」ということになります。
 軍事条約はいささか性格が違うので、国家関係を総括的に定めた文書の例として、1965年の日韓基本条約 - Wikisourceを見てみます。ここには「民主主義」「人権」「自由」の単語がひとつも出てきません。日本国と大韓民国はこれらの価値観を共有しているはずですが、外交文書には表われていないのです。もっとも当時の韓国は、建前としては自由主義陣営の民主国家だったとはいえ、実際は軍事独裁政権でしたから、そのへんに言及されるとまずかったのでしょうね。
 そもそも、共同声明は一方の価値観をうたうものでしょうか。見てきたように、条約や共同声明はその時点での両国の国情を表すものですから、軍事政権韓国と同じように現在の中国を批判するならいいのですが、単に外交文書の表現へいちゃもんをつけることに、なんの意味があるのでしょうか。

*1:なお、これは1960年締結の現行安保条約についてで、同じページにある1951年の旧条約にはいずれの単語も出てきません。冷戦の進行過程を見る意味で、この比較はなかなか興味深いものでした。