黙然日記(廃墟)

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古森義久氏、馬鹿と並ぶ。

長野の聖火リレーに改めて思う――日本領土が中国国旗に埋もれると - ステージ風発、:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/563369

 「長野では日の丸の旗は稀少でした。」。古森氏はこう嘆いていますが、ひとつには厳重な警備のため日本人市民より中国人留学生の方が多かったからでしょう。もうひとつの理由は、ネットで集まったチベット支援者は「日の丸を持っていかないように」と申し合わせていたためでもあります。なぜかというと、それ以前のチベット弾圧抗議デモで、チベット問題の名前で人を集めながら、日の丸を掲げて「中国人は日本から出て行け」「竹島を帰せ」などの主張をしようとした馬鹿がいたため、まともなチベット支援者は「あいつらと同一視されるのだけは絶対にごめんだ」と思っていたからです。自称愛国者が“国益"を損なう例が、ここにもあったのです。
 我々が日の丸を誇れないのは、歴史修正主義者のせいなのですよね。


 このエントリは以下、5月3日付産経新聞に掲載されたコラム「緯度経度」を引用しているのですが、そういえば見かけなかったなあ、と思ったら、iza!ではこの1ヶ月ほど、MSN産経ニュースでは半年ほども、「緯度経度」が配信されていないようです。これは各海外支局の支局長クラスが担当する、国際面の看板コラムだと思っていたのですが、どうしちゃったんでしょうね。恥ずかしい内容ばかりなので配信をやめたのかな。


 以下抜粋引用しつつ。「チベット問題」とか「人権弾圧問題」と呼ぶのも核心を外してしまう。中国という異質の大国の台頭にどう対応するかという新たな課題の劇的な提示こそが真実なのである」。古森さんがそう思うのは勝手ですが、「私たち」でくくらないでほしいですね。少なくともわたしにとっては、そして意見を表明した多くの人にとっては、チベット問題は人権問題だからこそ重要なのであって、相手が中国だから非難するわけではありません。古森氏のこの発想は、上述の愛国馬鹿と同レベルじゃないでしょうか。
 また、古森氏は中国について「衣の下からエイリアン(異邦人)ふうのヨロイが露呈する」と表現していますが、括弧を付けて註釈されたって、たいていの日本人にとって"Alien"という単語は、映画『エイリアン』に登場した化物のイメージで捉えられます。それを計算せずに「エイリアン」という表現を使ったとは思えません。「異邦人」をかっこよく書きたいなら「エトランゼ」とでもするでしょうし、そもそもこの文脈で「異邦人」と書く理由がなく、普通なら「異国風の」「東洋風の」と表現するところでしょう。
 中国人を化物扱いしてまで中国異質論を推進する古森氏の姿には、1980年代米国のジャパン・バッシング派を思い浮かべます。たしか古森氏は、日本の立場と唱えて彼らを非難していたはずですが、自分が同じ論法を使うのは平気なのでしょうか。さらに、現在の米国の中国脅威論に学んで対策を練れ、と来られると、これはいったい、どこの国の言説かと思ってしまいます。
 “国益"を考えない愛国馬鹿の方が、首尾一貫しているだけマシかもしれませんね。